僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画『テッド2』 中年のヤク中テディベアが存在する理由と、「テッドに人権は要らない」

※注意 狂気度★★★

 

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  あの頃、私たちのテディベアは、まだ生きていなかった。唯一、想像の世界でのみ、彼らは動くことができた。私たちは、テディベアが動くだけで満足だった。喋り、母に甘え、父に叱られるテディベアを前にして、私たちは微笑みを浮かべる。素晴らしい、このテディベア、まるで生きているようだわ。テディベアは可愛く話す。「ねえ、友達になろうよ」

 しかし、時代は変わった。テディベアを動かすのは、もはや想像力の仕事ではない。それはCGの仕事だ。リストラされた想像力にあてがわれた仕事は、今までいなかったタイプのテディベアを生み出すことだった。今までにないタイプ? 私たちは今までのテディベアで満足していたのではなかったか? しかし、仕事はいつも暇から生み出される。暇になった想像力は、テディベアが、今までになかったことをしている姿を欲するのだ。

 こうして、ついに彼は生まれた。これまで永遠の3歳だったはずのテディベアが年をとりはじめ、飲み物はミルクからビールへと変わった。可愛かったソプラノボイスは中年オヤジのそれになり、くわえるのは哺乳ビンではなく、大麻の葉っぱである。もはやこれが、私たちの求めていたことなのかは定かではない。しかし、彼は生まれ、そして動き出した。モフモフしながら、人々の悪態をつき、大麻をすぅすぅ吸いながら、女を漁ろうとする中年オヤジ。ハッピー・バースディ・トゥ・テッド! 確かに君は、新しいタイプのテディベアだ。

 『テッド2』劇中で、モーガン・フリーマン演じる弁護士が、テッドに向かって、

「君は人類の希望に慣れたはずなのに、そうしかなった」

と言う。しかし、他にどうしろというのだろうか。テッドには他に道はなかった。可愛くて、性格が良いクマなら、私たちの頭の中に、すでに存在したのだ。彼は、新しいテディベアとして生を受けることが運命づけられた存在。大麻の一つや二つ吸わなくて、どうしてそんなことが可能になるのか。

 モーガン・フリーマンは、親友のために涙を流すテディベアを見て、彼は単なるおもちゃではない、と悟る。彼は人間になったのだ、と。しかし、それは間違っている。彼はテディベアから人間へと上昇したのではない。人間へと下降したのだ。ゼウスやオリオンが棲む世界の住人だったはずのテディベアが、人間の罪深き想像力によって、人間に引きずり落とされたのだ。テッドに人権がないのは明らかである。なぜなら、テッドは、もとは人間以上の存在なのだから。

 以上の理由より、テッドに人権を与えぬことを望む。

 

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