僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【現在公開中!】(ネタバレなし) 映画『テッド2』 撮る人もバカ、撮られる人もバカ、観る人もバカ。バカ万歳!

セス・マクファーレン監督 2015年 アメリカ

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◆映画『テッド2』で学ぶ、役立たずの教訓

1.モフモフしましょう。

  いかに行いが悪くても、それだけで愛らしくなります。

2.ぬいぐるみを愛するときは…

  それが中年になっても愛せるか、を考えてからにしましょう。

3.やりたいことをやりましょう。

  下品でも何でも、それが一番の生活です。

 

◆はじめの数分で既に満足。これだよ、これ!

 モフモフ×中年×ヤク中×映画狂のテディベア映画『テッド』シリーズ第2弾。前作のDVDを夜中に流しまくっている僕には、待望のバカ映画であった! 嗚呼なんと素晴らしきかな、馬鹿映画! 馬鹿すぎるぞ! マクファーレン監督!

 オープニングで、ミュージカル風にテッドが踊り狂っているシーンから、すでに狂気の祝祭は始まっている。真正面から狂気を扱った映画にはおそらく意味はあるが、この軽薄な狂気には意味がない。だが、僕はこの時点で、すでに満足した。意味も要らないし、感動も要らない。ただ、下品なテディベアに言いたいことを言わせ、やりたいことをやらせればいい。それが『テッド』シリーズに期待することだ。

 物語としては、法的に「ただの所有物」だと認定されたテッドが、再び「人間」だと認めさせるために四苦八苦する話……だが、だからといって、そこに注目してみても、大して何も得られない。その辺りもかなり悪趣味にできあがっており、テッドの悪戦苦闘は、黒人が人権を獲得する過程と重ねて描かれているが、マトモにそのことを考えてみると、腹の立つこと間違いなし。人権獲得の話は、物語性を持たせるための最低限の仕掛け、くらいに理解した方がいい。

 

◆本質的な問題を馬鹿馬鹿しく描く。それがコメディ。

 テーマ自体は、前作と共通している。テッドを、物として扱うか、それとも人として扱うかの相克である。人間と物との関係を考えるとき、これは本質的な問題だと思う。コメディ映画のコメディ性に力が宿るとすれば、それは本質的な問題を馬鹿馬鹿しい手法で描くことにある。そういう意味で、『テッド2』には、好き嫌いこそ分かれるだろうが、笑いを笑いとするために必要なリアリティがある。実際に笑うかどうかは、好き嫌いの問題だろうが。僕はアホみたいに笑った。

 ヒロイン役のアマンダ・サイフリッド演じる弁護士が、ヤク中であることには無理があると思った。つまり、リアリティを感じなかった。これは不思議なことで、喋るテディベアには無理を感じないのに、優秀らしい女性弁護士が人目も気にせずに大麻を吸っていると、どうしても嘘くさい。だが、アマンダ・サイフリッドが歌ったのは良かった。例によって全く脈絡なく挿入されるシーンであるが、『マンマ・ミーヤ』(2008年アメリカ)や『レ・ミゼラブル』(2012年アメリカ)で彼女が歌うシーンに惹かれた身としては、しんみりと聞き入ってしまう。


映画『テッド2』R15+予告編 - YouTube