僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【GODZILLA ゴジラ】ほら、あそこに畏敬そのものが歩いてます。【感想】

  GODZILLAゴジラなのか。1998年にニューヨークの街中をバタバタと走り回っていたGODZILLAは間違いなく大トカゲの類で、ジャン・レノが何と言おうが、決してゴジラではなかった。しかし、2014年にサンフランシスコで大暴れしたGODZILLAは、間違いなくあのゴジラだった。鈍重、そして、ひたすら巨大! ど迫力とはこのことだ。対決する多足怪獣のムートーさんは、子作りをしていただけで別にそれほど悪くはないのだが、「生態系のバランスを崩す」とか何とかという理由で、ゴジラに一方的に駆除される。可愛そうなムートーさん。しかし、ゴジラの大暴れして欲しいという願いは、留まるところを知らないのだ。 さあ、暴れよゴジラ

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ゴジラ、この巨大な大怪獣への畏敬

 冒頭から登場するのはムートーさんだけで、ゴジラはなかなか姿を見せない。この焦らしは思いのほか有効で、やっとゴジラが見られるのかと思ったらまた焦らされ、よっしゃ出て来たと思ったらカメラが別角度に向く。あーたまらぬ。一度登場した後もまだ焦らしは続き、待望の再登場シーンでさえも、照明弾に照らされただけの不完全な状態での、まさかの「背中ちら見せ」に終わるという徹底ぶり。「君たち、もっとゴジラを欲望したまえ。君たちのゴジラへの欲望が、ゴジラほどの巨大になった瞬間にこそゴジラが現れるのだよ」と言わんばかりのこの演出。憎らしい事この上なし。

 しかし、だからこそというべきか、登場するゴジラの迫力は圧巻だ。ものすごく怖い。こんなに質量感のある怪獣を今まで見たことがない。Wikipediaによると、今回のゴジラの身長は108mらしく、これは大阪の通天閣とほとんど同じであるが、余計な垂れ幕がかかっていないせいか、その3倍は大きく見える。こんなものがギャーギャーわめきながら海から上がってきたら、間違いなくこの世の終わりを確信するだろう。あるいは祈るかもしれない。ゴジラは、人類に対して、コントロールする意志を一瞬で失わせる大怪獣である。

 対決するムートーさんは巨大さもさることながら、体躯の奇妙さと、その隠密性において恐ろしさを発揮するタイプの怪獣である。エイリアンとか、その類のモンスターが巨大化したようなものである。真っ暗な森のなかで、突然現れるムートーさんに驚く米軍兵士たち。確かにあんなものが目の前にいたら、泣き叫ぶより他に選択肢はあるまい。ムートーさんは、そうやってみるせいか、ゴジラと違って、どうも悪そうな顔をしているのである。「へっへっへ、人類を根絶してやるぜ」と言わんばかりである。しかし実際のところ、ムートーさんの望みは温かい家庭を築き、子育てをすることなのだが、そんな淡い希望も、ゴジラの出現によって、露と消えることになる。サンフランシスコでの大激闘は、ムートー夫妻にとって、最初で最後の共同作業であった。可愛そうなムートーさん。

 ゴジラは何をしに来たのか。渡辺謙によると、「生態系のバランスを戻しに来た」のだそうだ。確かにムートーさんは生態系のバランスを崩すだろうが、それなら人間はどうなんだ、そしてそもそも君はどうなんだゴジラ、というのは、たぶん野暮なリアクションである。そんなことはどうだっていいのだ。今回のゴジラは、もとのゴジラとは全く設定が違い、反核のメッセージを持たない。この部分の評価は作品全体に関わる重要なところだが、僕は、今回は今回で、別に構わないと思う。ゴジラとは何か。それは確かに反核であり、災害のメタファーだった。しかし、ゴジラとは兎にも角にも、あの巨大な怪獣のことなのだ。ゴジラの巨大さはそれだけで魅力的であり、恐怖である。そうした畏敬の念を抱かせ、人類に跪く契機を与えること。それがゴジラの仕事である。

GODZILLA ゴジラ[2014] DVD2枚組

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