僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【ワイルドスピード スカイミッション】ステイサム、ステイサム!【感想】

 はじめての『ワイルドスピード』シリーズ。車に詳しくなくても、ストリートの闘いにあまりロマンを感じなくても、僕にはジェイソン・ステイサムがいる。それ以上に、この映画を見る理由が必要だろうか。ジェイソン・ステイサムはこの映画でもやはりジェイソン・ステイサムだった。

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 ちょっと歌手のEXILEと同じような雰囲気を感じて、『ワイルドスピード』シリーズを敬遠していた。EXILEが嫌いとかではないのだけれど、「少し柄の悪い男が実は義理堅くて、家族とか愛を歌い上げる」みたいなベタがどうしても恥ずかしい。一方で、『トランスポーター』シリーズ以来、ジェイソン・ステイサムの出演作は必ず観ることにしている。ステイサムのアクションはキレッキレでかっこいいのだ。ということで、ジェイソン・ステイサムが出演する『ワイルドスピード スカイミッション』は、僕にとって葛藤の塊であった。嗚呼、観るべきか観ないべきか、それが問題だ。

 しかしいざ観てみると、なんだ、これ、面白いじゃないか。『トランスフォーマー』に代表されるようなマイケル・ベイ作品と同様に、ストーリーそっちのけで、無理やりにでも危機感を煽って、「銃撃戦に次ぐ銃撃戦、肉弾戦に次ぐ肉弾戦、仕上げは大爆発でビル崩壊」という潔さが素晴らしい。これぞ、全てのアクション映画が見習うべき諦念である。

 ステイサムを褒めだしたら、もう止まらない。アクションは緩急の切り替えがはやくて小気味よく、ファイティングポーズをとると強そうなのだけれどなんだか可愛い。敵をにらみつけるときの眼光は、それだけであちこちで何かが切れてんじゃないかと思うくらい鋭い。頭は相変わらず禿げあがっているが、「禿げあがっているのにかっこいい」ではなく、「禿げあがっているからこそかっこいい」と因果関係を変更してしまうほど、常人とは何かが違っている。すでに禿げている男性も、いずれ禿げることを恐れている男性も(たぶん全ての男性は左のどちらかのタイプに入る)、ジェイソン・ステイサムを見よ。彼の禿げ頭が、我々の希望である。

 そんな禿げ頭がヒーローではなく悪役の方をするのだから、戦闘シーンは白熱するに決まっている。ジェイソン・ステイサムは弟に大けがを負わせた主人公たちに復讐するために現れるわけだが、異様なくらい粘着質というか、ストーカーっぽいというか、とにかく主人公たちが行く先々に機関銃をぶっ放しながら現れては、車をガンガンぶつけて殺しにかかってくる。復讐とか言いながら、ちょっと楽しんでんじゃないかな。

 車のバトルは、わけがわからなくて面白かった。車で向かい合って用意ドンでスタートして、正面衝突してドカン、というシーンがあったが、あれは一体どういう闘いなのだろうか。トヨタの衝突実験のようである。改造して強化していることを詰っていたので、どうやら強化してはならぬ、というルールもあるようだが、そもそも二人で息を合わせ得て正面衝突させるのがおかしい。馬鹿なのだろうか。それならまだ、何でもかんでもレース勝負にする『イニシャルD』的な展開のほうが理屈に合っている。おそらく主人公が言う「ストリートの闘い」の一環なのだろう。

 今回、敵と味方が奪い合うのは、『神の目』と呼ばれる人物検索装置だ。全世界の映像データや音声データから該当の人物の位置を特定する。このような装置は、最近のハリウッド映画に繰り返し出てくる。この前観た『キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー』では、この追跡装置に暗殺機能が追加されていて、日常の言動から“未来のテロリスト”を探し出して、事前に殺していく。他にも、バットマンの『ダークナイト』では、家庭の電話通話まで傍受して対象を探し出す機械が登場した。人工知能が人類に反乱を起こす」というSFの定番プロットと同じような形で、このような人物検索装置もひとつの定番として定着してきているのだろう。人工知能の反乱に比べるとその恐ろしさが理解しにくいが、“自由の国”アメリカにとって、実際上でも観念上でも、現代の代表的な恐怖のアイコンになりつつある。図式的なレベルでも、このような装置は、自由な世界を守るために自由を制限する、というジレンマを抱えていて、言ってみれば物語の宝庫である。今後、さらに斬新な物語が語られていくのだろうと思う。

 (監督:ジェームズ・ワン 2015年 アメリカ)

ワイルド・スピード - スカイミッション (字幕版)
 

 

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