僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

エピソード7を観たルーカスの感想が意味深。【スターウォーズ祭り開催中】

 この記事は面白かった。ジョージ・ルーカスは、エピソード7を観た後に、「ファンは気に入るだろう」と言っている。

“I think the fans are going to love it. It’s very much the kind of movie they’ve been looking for.”

www.blastr.com

 同記事でも強調されているが、ルーカスは、「自分が好きか嫌いか」を表明していない。これは次のような経緯と関係がある、らしい。

 エピソード7以降の三部作について、製作するディズニーは、ルーカスの創っていたストーリーを採用しなかった。それはなぜか。ルーカスがこのシリーズを実はメロドラマで、家族の問題を扱ったものだと考えているのに対して、ファンはそうは捉えていない。宇宙の叙事詩だと思っている。ディズニーは、ファンが観たいものを創るために、ルーカスのストーリーを採用しなかった、とのこと。ルーカスが創ったら、もしかすると、下記事のようにはならなかったかもしれない。三部作のはじめに当たるエピソード7では、これまでよりももう一段階こじれた家族の問題が提示されるような気がする。

gigazine.net

 それにしても、ルーカスのスターウォーズ認識は意外でしかない。しかし、そう考えれば、エピソード3でアナキンが嫉妬に塗れる姿なんかは、ルーカスの認識のど真ん中だったのかもしれない。家族の問題と言えば、「アナキンには父がいない」というのも最近知った(参考リンクアナキンの父)。アナキンの母のシムのセリフ。

「父親はいませんでした。私に言えるのは、・・・あの子を身ごもり、産んだだけ。何があったのかは、説明できません。」

 このセリフだけ見ると、どうしても嫌な状況を想像してしまうが、実際はそうでもなく、先日読んだ「どっちのスター・ウォーズ」もアナキンは「フォースの子」だと書いている。仮面ライダーブラックRXが「太陽の子」だったのと似ている(無意味なコメント)

これはアナキンが誰かの子供ではなく、フォースがミディ=クロリアンに影響を与えることによって生まれた生命であるためだと考えられている。つまり、アナキンはフォースそのものの子なのだ。

どっちのスター・ウォーズ

どっちのスター・ウォーズ

 

  これを知ると当然、マリアの処女懐胎を連想してしまうところだが、僕はアナキンはイエス・キリストではないと思う。というより、より正確に言えば、アナキン=キリストという見方が面白くなると思えない(聖書に関する知識が少ないからかもしれないが)。あえて共通点をあげるなら、アナキンを前史から切り離すことで、歴史がキリストの誕生によって始まったのと同様に、スターウォーズ・サーガがアナキンの誕生によって始まったものだということを強く印象付ける効果を狙っているのだと思う。銀河共和国はもっと長く続いていたが、スターウォーズ自体はアナキンの誕生によってはじまったのだ。