僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

スターウォーズの普遍性?~「スターウォーズ論」から~ 【スターウォーズ祭り開催中】

 早いものですね。もうやってきました。今日が公開初日!!

 これほど他の人の感想が楽しみだったことはない。親しい人の中にも初回上映を観に行く人がいるので、すぐに感想にありつけるだろう。ああ待ちきれぬ!

 僕自身が観られるのは少し先になりそうなので、その間にまたいそいそと考えることにしよう。「なぜスターウォーズは面白いのか」。

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◆「なぜスターウォーズは面白いのか」

 自分自身の考えも含めて、この問いに対する答えのバリエーションは、実はほとんどない。整理すると、下の3種のどれか、もしくは3種のうちの幾つかを複合したものになっている。

 A:社会もしくは時代、B:普遍性、C:映画一般の美点

 これまでも少しずつ触れてきたことだが、Aの理由のキーワードにあたるのは、「大きな物語」の失効など。この場合は、大澤真幸の「虚構の時代」という時代診断や、大塚英志の「スターウォーズの年代記=疑似的な大きな物語」みたいな認識がヒットの理由として語られる。

 Bのキーワードはもちろんジョセフ・キャンベル。キャンベルの神話論をもとにルーカスが製作したからこそ、スターウォーズは凡百の物語とは違って、普遍性の地平へとたどり着いたのだ、ということ。スターウォーズの魅力を語る際に、最も言及の回数が多いパターンだろう。

 Cは、例えば岡田斗司夫の指摘(以下の映像)。スターウォーズは、アベンジャーズよりもキャラクターが魅力的で、ロード・オブ・ザ・リングよりも絵にスケール感があり、ハリー・ポッターよりも善悪を巡るテーマが深く掘り下げられている」。キャラが魅力なのも、スケール感があるのも、テーマが深く掘り下げられているのも、映画一般の美点である。


03【基礎編】岡田斗司夫のスターウォーズ論

 

スターウォーズの普遍性?~ごく普通のファンこそがその魅力を知るはず。

スター・ウォーズ学 (新潮新書)

スター・ウォーズ学 (新潮新書)

 

  本書は「エピソード7」を楽しく観るための予習・復習本なので、「スターウォーズはなぜ面白いか」を探求した本ではないけれど、本書の筆者は上の区分でいうと、Bの認識を持っている。スターウォーズは普遍的な物語なのだ、と主張する。

しかし、僕は断固として言いたい。一人一人の人生、価値観、思想、文化をのみこみ、民族が共有する普遍的な物語に昇華されたものこそ「神話=サーガ」なのだと。

  当然このあとにキャンベルの神話論が紹介されるのだけれど、面白いと思ったのは、ルーカス自身もスターウォーズが普遍的な物語だと考えている、というくだりである。詳細は全く知らないのだが、スターウォーズは他の映画では考えられない回数の改変が行われている。しかし、改変がいつでも好意的に受け入れられるはずもなく、こんな記事が存在するほど。

matome.naver.jp

 ルーカスの改変にファンが怒っているのだが、正直、人種差別以外は、どの項目を読んでもどうでもいいような気がした。ダースベイダーが「NO!」と叫んだところで、スターウォーズの魅力は全く変わらない。筆者も道筋は違うが、同じ認識を示している。

ジョージ・ルーカスが自らの作品に手を入れ続ける理由はなんだろうか。それは彼が敬愛する神話の構造、英雄譚の構造に、ゆるぎない自信があるからではないかと僕は推測している。いわば「普遍性」への信頼であり、だからこそ「細部」は改変してもよいという価値観である。

 僕は、大雑把にいうと、この推論は正しいと思う。ルーカスは細部は改変してもよいと考えている。なぜか。それが筆者の言うように、神話的構造への全面的信頼から来ているかどうかは分からないが、少なくともルーカスは、スターウォーズスターウォーズたる所以は、決して細部にあるのではない、と考えているのではないか。僕もそう思う。「物語が細部に至るまで組み立てられている」とか「年代記が正確に設定されている」など、マニアのみが納得することができるスターウォーズの魅力は、魅力としてはおそらく副次的なものである。ごく普通の観客がなんとなく感じている面白さこそが、スターウォーズを圧倒的な地位に押し上げた理由なのである。それが何かは、まだ分からないけれど。