僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【ジャックと天空の巨人】 巨人の不気味と、ワクワクと。【感想】

 巨人が大地を闊歩するだけで、ワクワクするじゃないか。恐怖そのものである、『進撃の巨人』の巨人もいいし、溶けかけていたナウシカ巨神兵もいい。そして、本作の『天空の巨人』も獣くさくて、とてもいい。巨人と闘うのは、人間同士で闘うのと全然違う。もちろん、エイリアンと闘うのとも全然違う。巨人は、人間に似ていて、似ていないものだ。人間とつながっていて、切れているものだ。巨人は、どこか批評的である。人間が人間であることの輪郭が揺らぐ。本作に出てくる巨人たちは、凶暴で粗野で欲望に塗れている。つまり一言で言うと、人間くさい。嗚呼、ますますワクワクするじゃないか。

By Wahhahha

 

f:id:uselesslessons:20150918020657j:plain

◆こんな巨人が観たかった。

 「ジャックと豆の木」をベースに、王国と巨人との闘いを描いたもの。巨人の質量感や、豆の木の強大な生命力の描写が素晴らしい! CGの時代に生まれてよかったなー、ほんと。脳内イメージだけでなく、映像としてこんなものが見られるのは、現代に生きる特権である。

 巨人の生活の生々しさは、意図的に強化されている。逆を考えてみれば、その理由もわかる。巨人は皆、なぜか少し汚らしいが、あれがもし上品だったり、きれい好きだったり、カラフルな衣装でも着ていたら、ファンタジーの度合いが一気に高まってしまい、巨人の物々しさが薄れてしまう。巨人に女性が出てこないのも、同じような理由だろう。オッサンばかりでないと、巨人の鼻息の荒さとか、獣臭だとかが、画面から醸し出されないのだ。一応断っておくが、今ぼくはオッサンを褒めています(たぶん)。オッサンってすごいね…。しょんぼり。

 それに対して人間側は、さすがの爽やかさである。姫は美しく、青年は素朴だ。護衛隊長は、凛々しく勇敢で、水に浸かった後も、依然として男前だった。人間側で唯一、爽やかでなかった男は、案の定と言うべきか、巨人軍(≠ジャイアンツ)を乗っ取って、人間界を支配しようとする悪者であった。巨人対人間の闘いは、言ってみれば、汗臭さと爽やかさの相克でもあったのだ。

 そうした汗臭い巨人たちが、大地に降り立つ瞬間の迫力はどうだろう。『進撃の巨人』よりも、運動性能でかなり勝る本作の巨人たちは、馬に乗ってひたすら逃げていく人間たちを、まるで群れで狩りでもするかのように追ってくる。王国の王でさえ、為すすべもなく逃げ惑うほかない。間一髪で城壁の内側に逃れた人間たちは、それでもまだ防戦一方、巨人たちの圧倒的な腕力の前にして、人間の力など、いくら集まったところで、物の数ではないのだ。

 人間に、人間自身の卑小さを突きつけてくるもの、その者が、人間そっくりの顔をしていることは、じっと考えてみればみるほど、恐ろしい。本作は、子どもも楽しんで見られるように、グロテスクな描写は避けられているし、結末もこれ以上なくハッピーに纏めあげられていて、恐怖を感じる場面はほとんどないが、巨人とはそもそも、上のように、恐ろしい存在である。神話上に繰り返し登場したり、見方によっては巨人のバリエーションともいえるものが、多くの文化に根付いているのも、決して偶然ではないはずだ。巨人の存在は、人間の何かを揺るがし、抉る。場合によっては、恐怖を胸に刻み、人類の万能感の重石となる。巨人とはなんと不気味で、なんて魅力的な存在なのだろうか。

 (ブライアン・シンガー監督 2013年 アメリカ)

ジャックと天空の巨人 [DVD]

ジャックと天空の巨人 [DVD]