僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【アントマン】 アントマンで涙を流す唯一の理由 【感想】

 「大きけりゃ強く、小さけりゃ弱い」という「『ジャイアンのび太パラダイム」とも呼ぶべき常識を覆さんと登場したアントマンだが、意外も意外、その実力は、“じゃいアント”なのだ(いいかね、ひとたび思いついたら、必ず使う。たとえ血を流すことになっても、必ず使う。それが父の唯一の教えだ)。大きくなったり小さくなったりするのが、ドラえもんのビッグ/スモールライトよりもかなり早いおかげで、アクションの最中にも身体の大きさを変えることが可能となっており、それが通常の大きさの人間よりも、アクションの幅を圧倒的に広めている。頼りないように見えて、アントマンは、紛れもなくヒーローなのだ。

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◆終わってみれば、確かにアントマンはヒーローだった。

 アリンコをヒーローにしようという発想がまず信じられない。スパイダーマンのときにもそう思ったが、それでもクモには、糸を出すとか、壁に張り付けるとかいう個人技がある。それに対してアリンコは、昆虫として個々の能力が突出しているイメージがなく、すごいと思うのは、集団で動く際に統率がとれていることくらいだ。全く世の中には奇特な人がいるものである。昆虫が苦手なら、絶対に出てこない発想。もしかするとヤケクソで生み出されたアイディアだったのかもしれない。「もう何もないわ、アリンコでも使ったれ」。

 アントマンは、一人ではない。他のアリンコたちのリーダーとして、アリンコの一大師団を動かしているのである。そういう意味で、アントマンの武器は、体の大きさを変える能力と、アリンコの軍隊を動かせる能力、この二種類である。それにしても、アリンコがまた優秀なのである。アントマンの空中飛行を助けたり、敵をチクチク刺して攪乱したり、果ては電子回路を破壊したりする。アリンコのわりには頑張っている、という領域を完全に超えている。スパイ養成所の一次試験くらいは軽くパスしそうだ。

 アリンコ軍の中でも、アントマンにとって重要なのは、空中部隊のアントニーである。アントマンがまだスーツを上手く扱えなかったときからのパートナーで、息の合った空中飛行を見せていた彼らだが、敵との激しい戦闘が繰り返される中、ついにアントニーが銃弾に倒れる瞬間がやってきた。銃弾が彼らを引き裂く。空中に投げ出されたアントマンの目に写る、ハラハラと舞い散るアリの羽。アントマンは、叫ぶ。

「アントニィィィィィィィ!」

 このようにコミカルに進む本作は、涙の流しどころのない軽薄さを売り物にしている。父と娘の一見シリアスな関係も描かれるが、それにも茶化す視点がすぐさま割り込んだりするので、これは意図的なものだろう。なんせ、アントマンアントマンとして闘うのを決めた理由は、養育費を払えないからだ。くだらない。現実ではもちろん笑えない理由ではあるが、お空にアベンジャーズの船が浮かんでいるこの世界では、カネのことなど、二の次三の次である。アントマンは離婚した元妻に、「娘が思い描く父親になって」と言われるのだが、アントマンは初めから終わりまで娘には好かれているし、刑務所に入った理由も、言ってみればヒーローっぽい理由である。それで、養育費を払っていないのを盾に娘に会えないことを宣言するのは、アントマンがあまりにも不憫である。

 それでも唯一、涙腺が緩くなった個所がある。少し悔しい。それは、アントマンのスーツの産みの親、ピム博士のくだりである。彼は妻を亡くしている。なぜか。それは、アントマンと同種のスーツを着た妻が、国を守るために望んで死を選んだからだ。妻は永遠に小さくなり、劇中の言葉を借りれば、「時空の意味がなくなる」世界に吸い込まれていった。愛する人が、量子論的なスケールの世界に畳み込まれるのは、もしかすると死別よりも苦しいかもしれない。天国に旅立ったわけでもない彼女は、この世界にしか存在しないはずなのに、この世界には存在していない。そんな状況は、確かに現実にも存在する。そんなときに、残された人は、何を想えばいいのだろうか。アントマンは、そんなピム博士に希望を授ける。意外にも、正統派のヒーロー映画だった。


映画『アントマン』予告編 - YouTube