僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【宇宙人ポール】なんだか普通の宇宙人【感想】

 なんだか普通の宇宙人。ん? 宇宙人に普通なんてものがあるのか? しかし、ポールはわりに普通に友達を見つけ、普通にその友達を助けようとして、別れ際も大きな感動もなく普通に帰っていった。帰らなくてもよかったんじゃないか、と思うくらいに。

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 宇宙人ポールとは言っても、ポールはほとんど宇宙人ではない。肌が緑色で、如何にも宇宙人らしい背格好をしているものの、記憶を他の人の脳に直接転送できるくらいしか特殊能力を持たず、あとは、アメリカの古き良き伝統に染まりきっているただの中年オヤジである。確かに中年オヤジにしては個性豊かかもしれないが、この程度に個性が強い人物なら、人類の中にも相当数見受けられる。したがって、宇宙人ポールはさして宇宙人ではない。

 というよりも、実のところ、ジョークも冴えわたり、友情にも篤く、自らの命を顧みず友を救おうとするこの宇宙人は、性格的な面では、ほとんど人類の模範と言っても差し支えない。軍に利用されながらも、お人よしにも人類の役に立とうとしたその姿勢も、裏切られても尚、人類そのものへの信頼を失わない冷静な知性も、やはりまた人類の模範とすべきである。そういえば、「未知との遭遇」にも宇宙人ポールがアドバイザーとして関与していたらしい。

 ところで、ちょっと古い歌で申し訳ないが(といっても、そう古いわけではないのだが、ちょうどそうやってピチピチの若者ぶりたい年齢なのである)、小松未歩の「氷の上に立つように」にこんな歌詞がある。

 宇宙船が目の前に降りたら

 迷わず手を伸ばし その船に乗り込みたい

 その日 一日を悔やみたくないから

 きっと友達だって残し 地球を旅立つの

  子ども心に、「ホンマか?」と思った覚えがある。僕が想像する範囲でだが、未知の宇宙人はまず間違いなく、基本的には危険である。例え、宇宙人そのものが危険でないとしても、白人が新大陸に上陸したときに何が起こったかを思い出せばすぐわかるように、宇宙人の身体に棲みついているウィルスやら病原菌やら、宇宙人自身は抵抗を持っていて何の問題もないものたちに対して、人類は全くの無防備なので、おそらく接触してからそう長くはない期間のうちに、一定数の人類は、そういったもので命を落とすことになるだろう。宇宙人と付き合うことは、そのようなリスクも引き受けることである。僕が幼いときに漠然と感じていたことは、言葉にすると以上のようになる。さて、もしも宇宙人がそういうものだとして、本当に行くのか小松未歩。“氷の上に立つように危なげなこともしたい”のであれば、比喩ではなく本当に氷の上に立っていればいいのだ。宇宙人と付き合うよりは、まだ安全である。

 しかし、宇宙人ポールには、次々と仲間ができている。この映画は、そういう意味で、「さて本当に行くのか小松未歩」という問いに対する、アンサームービーである。宇宙人についていくのは小松未歩ではなく、宇宙人伝説に熱狂的な興味を持つオタクたちで、エリア51等、宇宙人にまつわる名所を巡っているうちに、偶然にも本物の宇宙人の逃走に手を貸すという話。宇宙人は地球で何十年も過ごしているので、危険なウィルスも持っていないし、アメリカ文化に人並み以上に詳しい。なるほどこういう宇宙人なら、もしかするとすぐに友達になるかもしれない。

 おおむね宇宙人は、人類を滅ぼしにやって来るか、もしくは、人類に追い回されるかのどちらかである。「隣を見たら宇宙人がいたが、あまり気にせず、そっとしておいた」ということはない。そういう意味で、地球は宇宙人にとって、非常に住みにくい星だろう。宇宙人は、いつでも自分が人類を滅ぼす側か、それとも追われる側かを選択しなければならない。だからポールは帰ってしまった。ああ、あのままアメリカ一般ピープルとして生活を続けていたら、宇宙人が自然に増えていたかもしれないのに。そうなれば、もう小松未歩のような決意も要らなかったのに。

(監督:グレッグ・モットーラ 2011年 イギリス・アメリカ)

宇宙人ポール (字幕版)

宇宙人ポール (字幕版)