僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【エド・ウッド】史上最低の映画監督の愛すべき一生【感想】

【KeyWord】エド・ウッド、史上最低の映画監督、下手の横好き、映画製作とは何か

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 ユーモラスなトーンで描かれた作品だが、涙なしには見ることができない。何かを表現しようとしている人は、自分とエド・ウッドを重ねること間違いなしエド・ウッドとは、史上最低の映画監督としてその名を轟かせる人物。その監督人生は傍から見ると面白すぎて、普通なら強烈な印象をもたらすはずの「女装趣味」も、それほど大きなことではないように思える。Wikipediaを引いておく。

エド・ウッド(Ed Wood, フルネームは Edward Davis Wood, Junior, エドワード・D・ウッド・Jr.、1924年10月10日 - 1978年12月10日)は、アメリカの史上最低といわれた映画監督。彼は、映画プロデューサー、脚本家、俳優をすべて務めた。自らが製作した映画がすべて興行的に失敗した為、常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没した。死因はアルコール中毒

  つまり、エド・ウッドとは「下手の横好き」をそのまま絵にかいたような男であり、他者から評価されなくても、なお自らの情熱を貫き通した稀有な人物なのである。熱意の熱量だけでいうと、間違いなく天賦の才があった。再びwikipediaから。

彼の映画の出来が、一義的には「最低最悪」であることに異論をはさむものは少ない。彼が再評価されたのは、最低最悪の出来の映画ばかり作り、評価も最悪であり続けた(というよりも評価対象以前だった)にもかかわらず、それでもなお映画制作に対する熱意や、ほとばしる情熱を最後まで失わなかったためである。

  ひとつ強調しておきたいのが、エド・ウッドゴッホカフカではない、という点である。つまり、「本当は偉大な芸術家だったのに、不幸にも生前は認められなかった芸術家」ではない。エド・ウッドは本当に才能がなかったし、彼が撮った映画は最低だった(と今のところはされている)。これは表現者にとって、きわめて重要だと思う。まだ評価されていない表現者は、エド・ウッドとして人生を終えるかもしれない。それでもいいのか。それでも表現していくのか。

 まあ、それは仕方がないじゃないか、と本作を観たあと、そう思った。人は、というより、何かを表現する人は、エド・ウッドとして生きてもいいのだ。エド・ウッドが実際に存在した人物だという事実そのものが、もしかすると自分はエド・ウッドと同じように職業人生を終えるかもしれないという恐れを真正面から受け止める勇気をくれる。人間は、自分の生涯を“無駄にする”権利さえ持っている。ならば、堂々と自分の好きなことに死ぬまでの時間を投じて、人生を無駄にすればいいじゃないか。他者から見て、それが如何に痛々しい人生であろうが、徒労であろうが、そんなことは関係ない。これもひとつの立派な人生である。

 以上のように、エド・ウッドは、映画製作に対して、並はずれた情熱を持っていた。しかし、ひとつわからないことがあって、この映画を見てもエド・ウッドが映画のどんなところに情熱を感じていたのかは、正直に言って理解できない。劇中には撮影シーンが山ほどでてくるが、エド・ウッドは、ほとんど何でもありと言っていいほど、映画に関してこだわりがない。妥協しすぎである。セリフを変えてもOK,小道具が撮影中につぶれていてもOK,昼と夜が同じシーンで変わっていてもOK,なんでもOK。全てを「観客はそんなこと気にしない!」のひとことで解決してしまう。こういうことにこそ、映画製作者はこだわるものではないかという気がするのだけれど、これは門外漢が勝手に持つイメージなのだろうか。エド・ウッドは映画製作に只ならぬ情熱を持っていた、ということは確かなのだが、ではエド・ウッドにとって「映画製作」とはどのような営みだったのか、というと、やはりわからないのである。

(監督:ティム・バートン 1994年 アメリカ)