僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画『鑑定人と顔のない依頼人』 その愛、本物ですか。

ジュゼッペ・トルナトーレ監督 2013年 イタリア

f:id:uselesslessons:20150826145410j:plain

◆結婚詐欺にあっても、幸せに暮らすための心得

1.財産がすべてではない。

  たとえ生涯をかけて集めたコレクションを失っても、愛があればいい。

2.愛が全てではない。

  たとえ大きな犠牲を払って手に入れた愛を失っても、財産があればいい。

3.愛も財産も失った場合、再起不能である。

  その場合は、諦めるほかない。

 

 

◆結婚詐欺が1件。被害者は鑑定士。

 控えめ過ぎるラストは確定的な結論を観客に提示しない。ハッピー・エンドからバッド・エンドまで、幅広く可能性を保ったまま終幕を迎える。そのせいだろう、観終わった後に、鑑定士ヴァーゼルのささやかな幸せを祈らずにはいられなかった。彼はなかなかに不憫である。彼が手を染めてきたオークションの不正を考えてみても、あまりにも多くのものを失い過ぎていて、因果応報のバランスがとれていない。愛を知らぬ老年鑑定士ヴァーゼルが、愛を知り、愛に裏切られ、全てを失う、という話。

 

・クレアの恋愛テクニシャンぶりが怖い

 主人公ヴァーゼルはこれまで一度も恋をしたこともなければ、女性と真面に話すこともできない。この辺りの不器用さは、かつての我が身を見ているようである。ちょうど、男子校に通っていた高校生が、大学で急に女性という未知の生物に会って、狼狽えるのと同じようなものだ。そんなヴァーゼルを前に、“顔のない依頼人”であるクレアが現れる。“顔のない”理由は、ヴァーゼルの前に姿を現さないからである。彼女は広場恐怖で、人前に出られないから、とヴァーゼルは信じ込む。というより、誰でも信じてしまうだろう。俳優が本気で演じると、ホントもウソも区別がつかない。

 全てが分かった後に振り返ってみると、クレアが広場恐怖を騙ったのは、憎いほどに狡猾である。「秘すれば花」の原則通りに執拗に身を隠すクレアの姿を、ヴァーゼルは見たくて仕方がなくなる。嗚呼、馬鹿で愚かなヴァーゼル! やがて「見たい見たい見たい見たい!どうして見たい!」と駄々っ子と化したヴァーゼルは、小学生のような手段を使って彼女の姿を覗き見ることに成功し、さらにクレアに溺れていく。クレアは、彼が収集している絵画のモデルのように、美しい女性なのである。

 ここからのクレアの恋愛テクニシャンぶりは恐ろしい。少し与える、焦らす、さらに大きなものを引き出す、その繰り返し。突然泣き叫んだかと思いきや、次の瞬間にはしおらしく謝り、今までこんなことしてもらったことない、と笑顔を見せる。ヴァーゼルは振り回されっぱなしだが、クレアを自分が庇護せねばならぬという思いは確実に強くなっていき、その返礼としての愛に、身悶えるほど感動する。ヴァーゼルを籠絡するのは、クレアにとっては赤子の手をひねるより簡単だったろう。その通り、まさに赤子に過ぎなかったヴァーゼルは、手をひねりにひねられた結果、生涯を賭けて収集してきたコレクションを全て奪われることになる。そのときの驚きと絶望は、観ているこちらにも、ほとんど身体的な痛みとして感じられるほどに、悲惨さを極める。

 

 

◆愛の真贋

 ヴァーゼルは茫然自失する中で、クレアの挙動の一つ一つを思い出しては、その愛が本物であった証拠を探さずにはいられない。これこそが、劇中でも様々な形で強調される本作のモチーフである。偽物の中にも、不可避に本物が宿る。例えば、完全な模倣であることが望ましい贋作にも、作者が自身の印を刻まざるを得ないように…。

 クレアは偽物の恋愛の中に、本物の愛を感じていただろうか。製作者は意外に優しくて、断定はできないまでも、本物の愛だったかもしれないと観客が考えることのできる、いくつかのシーンを入れてくれている。例えば、クレアの台詞のいくつか。「何があっても貴方を愛しているわ」だとか、小説家という設定で編集者と話した電話で「ハッピー・エンドに変更するわ」とか。それに、おそらくクレアの真の恋人だったロバートが、ラストで機械人形に語らせた理由は、もしかすると、クレアが本当にヴァーゼルを愛してしまったことへの嫉妬だったかもしれない。

 

・クレアは喫茶店に来るのか。

ラストでは、ヴァーゼルはプラハのある喫茶店に向かう。それは、クレアの思い出の喫茶店で、ヴァーゼルは、クレアに会えるかもしれないという一抹の希望を抱いている。しかし、全ては嘘だったのだ。クレアは本当に来るのか?

 答えは明確に出ない。しかし、おそらく来ないだろう。喫茶店には、巨大な機械仕掛けの時計があった。これは、機械いじりの店を営んでいたロバートを連想させる。喫茶店は、ヴァーゼルとクレアのものではなく、あくまでもロバートとクレアの思い出の場所なのだ。ヴァーゼルのもとに、喫茶店のウェイターがやって来る。

「おひとりですか」

「いや、もう一人を待っている」

 ヴァーゼルは永久に現れないクレアを、ずっと待ち続けるのだろう。「信じる限り、愛」なんて安っぽい歌の歌詞みたいだけれど、このような悲惨さをも内に含んでいるのであれば、なるほどそれは愛なのだろう。

 

鑑定士と顔のない依頼人 [DVD]

鑑定士と顔のない依頼人 [DVD]