僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画『クロニクル』  超能力ティーンネイジャーが「してはならないこと」リスト

◆突然超能力を得たときの心得

1.空中浮遊は危険

  浮遊するなら、管制塔との連絡を欠かさずに。

2.内輪だけで楽しむ

  内輪で我慢できない瞬間が来る。金儲けを考えよ!

3.チベットに行け

  必ずや、救われる。

 

◆超能力ティーンネイジャーは馬鹿、というか、ティーンネイジャーは馬鹿である。

 超能力に目覚めたティーンネイジャーは危険である。もし貴方がティーンネイジャーなら、超能力を得るかもしれない明日のために、今すぐ自制心の訓練に入ることをお勧めする。ふと己の超能力に気付いてしまったときには、もう手遅れなのだ。超能力の巨大な魅力に、貴方は飲み込まれるだろう。そして人生を狂わせてしまう。

「今日が最良の日だ。これまでの人生を振り返っても、今日より良い日はなかった」

 青く発光する謎の物質に触れたことで、超能力=テレキネスを得た3人のティーンネイジャーは、雲の上でラグビーをした日の晩に、このように呟いた。主人公のアンドリューにとっては、雲の上で、ということよりも、ラグビーをしたことの方がより重要だったのだろう。長らく苛められてきたアンドリューは、ずっとそういう仲間を持つことに憧れていたのだ。

 彼らは徹底してティーンネイジャーの愚かさに留まる。その気になれば、アメリカンドリームを手にすることも、世界中を旅することも、正義のヒーローとなることも可能にするはずのテレキネスを、せいぜい学園のスターになるために使う程度なのだ。愚かさはまだ止まらない。アンドリューが病床に伏せる母のためにお金を工面しようとするまでは良かったのだが、その手段が、自分をいじめていたいじめっ子たちをボコボコにして金を強奪、果ては近所のガソリンスタンドに強盗に入って爆破、という体たらくである。気軽に大道芸でもやっていれば、母の薬代くらい一晩で稼げただろうに…。なんと救いようのない馬鹿なのだ。

 しかし、ティーンネイジャーの全ては、馬鹿ではなかったか。彼らにとって、学校と家族が世界の全てである。テレキネスをマジックと称して披露して、学園の「時の人」となったアンドリューは有頂天になる。しかし、その直後、初体験で嘔吐して「ゲロの人」と呼ばれ、絶望する。その絶望を、大人になってしまった人間は理解できるのだろうか。大人なら一笑に付すだろう。「初めてでゲロを吐いても、人生は終わらない。また明日、次のゲロを吐く機会がやって来るだけのことだ」。しかし、アンドリューにとって、確かに世界は終わったも同然なのである。

 

 

◆罪悪感を捨てて最強になる?

 アンドリューの絶望は、反転して自己愛を無限に膨張させる方向に進むだろう。ついに彼は、“頂点捕食者”という浅薄極まりない思想に取り憑かれる。「ライオンは獲物を捕食する際に罪悪感を持たない。自分にとってそれがポイントなのだ」。自分はライオンであり、頂点捕食者である、弱者を捕食するのに罪悪感を持ってはならないのだ――。

 胸を衝かれる思いがする。自分も、ティーンネイジャーの時に、巨大な力が自分に備わっていないことを嘆き、巨大な力を無垢に欲しがっていた。力は、才能でもお金でも容姿でも、何でも良かった。その気になれば、他者を圧倒し他者を蹂躙できる力。その力を持った自分が、おそらく次に望んだのは罪悪感からの自由だろう。罪悪感という内からのストッパーさえ外せば、力を行使するかしないかは、完全に自分のコントロールの範疇に収まる。それこそが最強の人間だ、そう考えた。愚かなティーンネイジャーとは、何のことはない、自分のことだったのかもしれない。結果的には、超能力どころか、才能もお金も容姿も獲得できなかったとしても、やはり僕は愚かなティーンネイジャーだったし、今も部分的に愚かなティーンネイジャーとして生きていくしかないのだ。