僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画『レゴ・ムービー』 レゴによる宇宙創成

◆レゴの世界に紛れ込んでしまったときの心得

1.マスター・ビルダーを探せ。

  全てから全てを作れるマスター・ビルダー。便利すぎる。

2.死んでもあまり気にするな。

  それ以後の“人生”もなかなか楽しそうだ。

3.マニュアルに従え。そしてマニュアルに従うな。

  どちらも正しい。それがレゴの世界。

 

 

◆レゴによる宇宙創成

 高揚感に浸りながら、世界はいったい何で作られうるのか、考えた。本作では、その答えはもちろんレゴだ! レゴで作った世界? そう、レゴ・ムービーは、丸ごと一つ宇宙を作ってしまったかのような印象さえ受ける傑作である。なんなんだ、これは。宇宙創成の材料としては、むしろ制約の方が多いはずのレゴが、豊かで自由な世界を作り出している矛盾。想像力に首輪をつけて檻に閉じ込めてしまっているのは、自由な世界に棲む僕たちの方だ。

 その辺に散らかっているパーツを集めてバイクを作ったかと思えば、その次の瞬間には、同じ部品が組み替えられて飛行機となっている。現実には不可能なこの作業は、レゴの世界で、可能/不可能の境界線が更新されていることを示している。また、ある種の二分法は他の二分法に取って変わられている。例えば、レゴの世界に死があるのかどうかも分からないし、生がどのような状態なのかもよく分からない。劇中の登場人物が拘っているのは、そういった生/死の境界線ではなく、動ける/動けないの境界線である。

 更新されているのは、このような境界線だけではない。むしろこちらのほうがより重要であるが、現実世界における(あるいは現実として撮られた映画における)ある種の二律背反も、レゴの世界だからこそ解消されている。例えば、高速でギャグが発出されるのにも関わらず深刻なトーンでやって来る次の展開、あるいは逆に、危機的な状況に突然出現する断絶の笑い、硬直の中での柔軟性に、ぶつ切りにされる時間経過の深層で、確かに連続している物語、等。

 ことほどさように、レゴの世界では、単にフィギュアや建物がレゴで作られているだけではなく、時空を含めた宇宙全体が、レゴを創成の材料に採用することによって、新しく創造されている。もちろん、上にあげた一つ一つは、レゴだけが可能にするものではないだろうが、しかし、レゴとはそもそも何かという問いに、予めこのレゴ宇宙が答えとして内在していたかのように、レゴを始原として全てが成立しているように感じる。ここは紛れもなく、レゴの宇宙なのだ。

 

◆世界の創り方

 おもちゃ映画と言えば、これまではトイ・ストーリーだった。トイ・ストーリーの基本的なアイディアは、このような形である。人間の世界があり、それとは別におもちゃの世界がある。人間は人間で勝手に動くし、おもちゃも人間と同じように勝手に動く。この二つの世界が重なっているところに、遊びの世界がある。トイ・ストーリーの世界では、人間が見ているところで、おもちゃが自分の意志で動くことは、タブーとして禁止されている。おもちゃは、人間の愛着を獲得しなければならない。

 しかし、本作の遊び観は少し違う。レゴの世界の住人は、基本的に、人間の視線を感知することはできない。したがって、自分たちがおもちゃであることも知らない。人間がレゴを動かしているときに、レゴの世界の住人は自分たちだけで自律的に動いていると思っている。逆に言うと、人間がレゴを動かしているとき以外に、レゴが動くことはない。先ほどの図式でいうと、おもちゃの世界は、人間の世界に包含されている。人間は神のようなもので、レゴの世界の住人は自分の意志で動くと思っているが、実際のところは、その神の意図を受けて動いている、というわけだ。

 両者の違いはとても面白い。単純に言うと、子どもの中でも幼い方であれば、おもちゃに対してトイ・ストーリー的な水平関係を持っていて、もう少し大きくなれば、レゴ的な垂直関係を取っていくようになる、と思う。

 かなり昔のさらに昔のことになるが、僕がレゴで遊んでいるときも、幼いころはトイ・ストーリー的な水平関係を取っており、それが次第にレゴ的な垂直関係へと変化してきた。物語創作に偏っていたため、レゴ・ムービーのようにレゴで全てを作っていたわけではないが、一つの新しい世界を作っているような感覚を持っており、さらに言うと、その世界が自律的なダイナミズムを有しているような感覚まで持っていた。最高に幸せな遊びだったと思う。

 上記の流れは、実は世界創成の一般的なルートの一つなのかもしれない。幼い子が人形に話しかけている光景からわかるように、トイ・ストーリー的な水平関係において、おもちゃはおもちゃで独自の世界を見ているように、幼い子には感じられている。言ってみれば、人形は一時的にせよ、他者となっているのだ。その他者が棲む世界を自分の中に取り込んでいく過程が、すなわちレゴ的な垂直関係への移行過程ではないか。だとすれば、他の創作にも同じことが言えるかもしれない。例えば小説家が身近な人間関係を自己の内部に落とし込んでフィクションの世界を構築する際にも、こうした他者の世界を丸ごと自分の取り込んでいくのと同様の過程を踏むのではないか。

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