僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【エール】歌がこちらに迫ってくる=歌が特別なものになるメカニズム。【感想】(現在公開中映画)

【KeyWord】聴覚障害、視点の移動、特別な歌が特別な理由

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 前半と後半で大きな視点の移動があり、それがこの映画の大きな美点になっていると感じた。それまで美しい歌声が響き渡っていた世界が、とつぜん無音になった瞬間、逆説的にその歌声を受け止めるひとつの視点が生まれたのだ。

 前半は、主人公の女子高校生ポーラの視点から、おもに彼女の家族が描かれる。彼女の家族は、ポーラ以外は全員、聾唖者という特異な家族で、その描写は、(おそらく)リアリティがあるのだろうと思うシーンと(例えば、やたらと音の鳴る朝食の風景とか。聾唖者は音が鳴るのが気にならない)、コミカルな側面だけを強調したと思われるシーン(例えば、両親の性生活を娘が赤裸々に訳すところとか)があるが、何にせよこの辺りの描写は軽薄とさえいっていいほどの軽やかさを感じる。両親が手話で会話するシーンは、父母ともにアクションが大げさで面白かったのだが、このような描かれ方を実際の聴覚障害者の方が見たときに、どのように感じるのかが気になるところ。

 ポーラと家族は次第にある一点において対立していく。歌の道に進みたいポーラと、娘を田舎の農場に留めたい両親の間の対立である。双方ともに相手が分かってくれないことにいら立ちながら、結局はいったんポーラが折れることになる。母が泣きながら、こんなことを言うのである。私は育て方を間違えた、貴方が生まれたとき、貴方の耳が聞こえると知った瞬間に、私は育てる自信を無くした、でも、お父さんが言ってくれた、聾唖者として育てよう、もしかしたら耳が聞こえなくなるかもしれない、この子は聾唖者の心を持っている…。大意ではこんな感じだったと思う。私はダメな母親だわ、と涙を流す母に、ポーラは、そんなことはない、と返す。それでも母は、「あなたの歌が聞こえないのに?」。ポーラの視点から見ていた自分としても、ここまで言われてしまったら、歌を諦めるのも納得がいく。歌は大切だけど、ポーラにとっては家族のほうがより大切なことは、それまでのシーンからよく理解できるのである。

 視点がポーラから離れていくのは、その次のシーンである。すでにこの時点では歌の道を諦めているポーラが、学校のコーラス大会みたいなものに出場し、歌を思いっきり歌う。ここのポーラの表情がなんだか自然で良くて、歌を諦めたことに対する無念とか、認めてくれなかった両親への怒りは、全く感じられない。あまりにも良い表情だったので、ひょっとすると、このまま歌の道を諦めてエンディングを迎えるのではないかと思ったくらいだ。考えてみれば、ポーラにとって歌うことはずっと葛藤と共にあった。しかし、歌の道を諦めたことで、今は純粋に歌うことに集中することができている。たぶん、そういうことだったのだと思う。

 ポーラは歌い続けているのにも関わらず、ポーラの歌声が、とつぜん聞こえなくなる。映画館から音が消える。これが、両親の視点であり、ポーラの視点から両親の視点へと移行する瞬間である。ポーラの歌は、ほとんど何も聞こえない。ただ、歌うポーラの姿と、聴き入る周囲の観客の姿が見えるだけだ。でも、それで十分だったのだろう。父はこののち、もう一度聞かせてくれ、と頼む。ポーラの口元に耳を寄せて、父は聞こえないはずの歌を聴き、娘をオーディションに連れて行く決意をする。ポーラが家族に向けて歌うラストシーンで、歌はそれまでと全く違うものとなった。つまり、ポーラと家族を引き離そうとしていたはずの歌は、今は、ポーラと家族を固く結びつける絆になっているのである。

 視点の移動も含めて本作の2時間は、全てのこのラストシーンのためにあったのだと思う。聴覚障害をひとつのテーマとして扱った映画だが、むしろ歌一般について、日常でのある感覚を再現しているように感じた。こんなことはないですか? 恋に落ちたときや、悲しい出来事を経験したとき、それまでは何気なく聞き流していた歌が、急に特別なものに感じられること。まるで、歌が自分を目指して、真っ直ぐにこちらに迫ってくるように感じられること。そういうときに、人は、この歌が、他ならぬ自分へ向けた歌だったのだと知る。おそらくラストシーンで両親が感じていたのも、そして、両親の視点を通してポーラを見ていた僕が感じたのも、同じことだったはずだ。あのとき、歌は真っ直ぐにこちらに迫ってきた。両親は、ポーラの歌が、というよりポーラの愛が、他ならぬ自分へと向けられていることを、あのとき初めて知ったのである。前半でポーラの視点から見た両親の愛らしさを観客に理解させた上で、後半で両親の視点からポーラの歌を受け止めさせる。派手な映画ではないが、その表現が生み出す効果は、非常にドラマティックである。
 (監督:エリック・ラルティゴ  2015年 フランス)


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