僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

それ、僕のアイディアでしょ。

  それ、僕のアイディアでしょ、と言いたくなることがある。実装では先を越されたが、考えたのは僕が先だった。すごいのは0から1を生み出した僕であり、すでにある1を集めて100にしたあの人ではない。

 もちろん実態としては負け惜しみに過ぎない。単に先を越されたのだ。負けを認めなければならなし、アイディアを持つことは実は大したことではない。アイディアは天才にも凡人にも平等に訪れる。アインシュタインが下のように言っている。

私にはよいアイディアが浮かびます。他の人もそうです。ただ私の場合、幸運だったのはそのアイディアが受け入れられたということです。

 アインシュタインは「幸運だったのは」なんて言っているが、万人に平等に訪れるアイディアに肉体を与えて、その存在の確からしさを示すことが、天才だけに許された業なのだと思う。

 何が言いたいのかと言うと、この記事の「垂直の森」というマンション、僕もアイディアだけは思いついていました、と言いたいのである。写真を見て自分が造ったのかと思ったが――というのは嘘だけれど、自分が建築家になったらこんなものを造りたがるだろう、と思った。今の感覚を前提にすると奇妙かもしれないが、衣食住に関わるコンセプトは、一周回ってこのように自然と人工のハイブリットへと行き着くような気がする。


暮らしのエコナビ:イタリア・ミラノのマンション「垂直の森」【パナソニック公式】

 いつだったか、もう10年以上前になるが、同じようなハイブリットをレゴで作った。そう、レゴ。仮に同じアイディアを持っていたとしても、あちらはマンション、こちらはレゴである。もし裁判で僕のアイディアを盗んだのだと主張するならば、その証拠として間違いなくこのレゴ・ハイブリットを提出するだろう。

「裁判長、見て下さい。垂直の森とこのレゴ・ハイブリッドは、自然と人工の共存、という次元を超えて、自然と人工の融合がテーマになっています。そこに新しい地平が広がるのではないか、そう考えたわけです。レゴ・ハイブリッドは、自然から離れた人類が、自然に帰っていくことの象徴ではありません。全く逆と言っていいのです。自然から離れたかに見える人類が、実は人工を突き詰めた先にもう一度自然に発見するだろう、そのとき自然は自然を超えて、人工は人工を超えて、ひとつの新しい地平となって融合するのです。以上のことから、わたしは私のアイディアを盗まれたと主張します。お分かりいただけましたか?」

「はい。もちろん分かりません」

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