僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【怪盗グルーの月泥棒】コミカル・バナナことミニオンズの大活躍!ついでに怪盗グルーも【感想】

【KeyWord】月を盗む、現実感がないなりの現実感、コミカル・バナナ、愛を知る

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 エリック・カールという絵本作家に「パパ、お月さまとって」という絵本があり、その題名の通り、娘にせがまれた父が、お月さまを取りに行く話である。幼いころ好きでよく読んだ。「パパ」はどこからか長いハシゴをとってきて(だいたい38万キロ)、ひたすら昇ったすえに月までたどり着くのだが、持って帰るのには月が大きすぎて(ハシゴを用意するのと同じくらいの難度だと思うけどなー)、月が満ち欠けによって小さくなっていくのを待つことにする。十分に小さくなった月を持って帰ると、娘は大喜びして月と遊んだが、そのうち新月になって娘の手元から消えてしまい、気づけば空に元通りの月が浮かんでいた、というお話。なんだか素敵でしょう?

 「月を持って帰る」というのは、「月」のスケール感と「持って帰る」という動詞のスケール感が違いすぎてやっぱりおかしいのだけれど、「太陽を持って帰る」というのと違って(「パパ、太陽をとって」は娘が強欲すぎる。フリーザかお前は)、「月」には実際のスケールに見合わず、どこか「お手頃」な感じが漂っていて、結果的には「月を持って帰る」というと“現実感がないなりの現実感”みたいなものが醸し出されることになり、それがちょっとした可笑しさと可愛さを生み出しているように思う。

 悪党の後輩がピラミッドを“盗んだ”ことに焦りを感じて、本作で主人公の怪盗グルーは「月を盗む」と宣言するわけだけれど、そのときに感じたのもやはり上記のような可笑しさと可愛さで、その時点で本作は僕にとって特別な一作になった。「月を盗むだって? なんて素敵なんだ!」。新月で月が見えないときは、怪盗グルーが盗んでいたのかも知れませんよ。

 加えて、ミニオンである。スピンオフの「ミニオンズ」(下に感想のリンク)を先に観たばかりに、このコミカル・バナナが可愛くて仕方がない。相変わらず意味がわかりそうでわからない言葉をわめきちらしながら、何時なんどきも愉快そうに過ごしていた。あれだけ目の前のことを楽しめたら、人間だったら幸せだろうと思う。しかもミニオンズは思ったよりも優秀だったみたいで、怪盗グル―の助手としてハッキングから巨大ロケットの製作まで、娘の世話から部屋の掃除まで、果ては怪盗グル―の戦闘のサポートまで、幅広くこなすのである。自らのボスに寄生して滅ぼしてばかりの連中かと思ったらそうでもない。むしろミニオンズを従えたものが世界を制するといっても過言ではないほどの組織力である。そういう意味で、悪党として突出した才能があるとは思えない怪盗グル―こそ、ミニオンズに魅入られて幸運だったのかもしれない。

 物語としては、悪党らしい悪党だった怪盗グル―が、ライバルを制したい一心で利用しただけの養女3人に対して、次第に愛情を感じていく、という話。養女3人は3姉妹で、この人物造形も派手ではないが「なるほどこういう3姉妹いるよね」と思えるくらい自然で良かったし、新しい父である怪盗グル―に対する期待と失望にも共感できた。しかし、怪盗グル―の視点から見ると、怪盗グル―が月泥棒を機に愛する対象を発見したということなのだろうけれど、ではそれまでにミニオンズに対しては愛を感じていなかったのか、と考えると、ややインパクトには欠けるのである。あんな可愛いコミカル・バナナが近くにいて、未だに愛を知らなかったということがあるだろうか。3姉妹で愛を発見している場合ではない。君のそばにはミニオンズがずっといたではないか。怪盗グル―には、是非、ミニオンズのありがたさを再認識して頂きたい。僕も、あのバナナが欲しいのだ。それほど悪党ではないけれど。

(監督: ピエール・コフィン、 クリス・ルノー 2010年 アメリカ)

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