僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【アメリカンハッスル】「人は自分の信じたいものを信じる」【感想】

 地味だが爽快な詐欺映画。FBIとマフィアを相手にサバイバルを計るふたり(詐欺師とその愛人)が抱える問題は、案外、愛の問題であったりする。「人は自分の信じたいものを信じる」。人間は斯くも弱く、斯くも健気である。ちょっと嫌になるけれど、アバウトに言えば、きっと人間とはこういうものなのだろう。

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 劇中人物の一人が「人は自分の信じたいものを信じる」と勝ち誇って言うとき、観ているこちらは、勝ち誇ったその顔に同期して、ちょっとした優越感を得るとともに、詐欺をテーマとする映画に共通の、諦めにも似た悲しみを感じる。どうしてだろうか。

 この映画は、爽快な詐欺映画である。主人公の2人のカップルは、苦境に追い込まれながらも、FBIとマフィアを相手にひと芝居を演じ、安全を手に入れる。実際の収賄事件そのものではないが、それをもとに組み立てられたフィクションらしい。同じように人を騙すものでも、『グランド・イリュージョン』や『オーシャンズシリーズ』のような映画的な大胆さはなく、むしろ細かいところでウソをついて、上手く切り抜けている。実際の事件をもとにしたことが、良い重しになっていると思う。

 同じく登場人物についてもわりに現実的で、コミック的に「無意味にものすごく悪い」悪役は見当たらない。誰もが皆、自分の生存に必要なものを確保しようと必死である。それは、主人公ふたり(詐欺師とその愛人)にとっては安全だったり、あるいは互いへの愛だったりする。うだつの上がらないFBI捜査官にとっては、重要な犯人を捕まえた功績であり、人の良い市長にとっては、市民に職を提供できることだったりする。これらは単に欲の対象なのではなく、それが欠いてしまえばどうしても「よく生きられない」という意味で、それぞれの人物にとって必要不可欠なものなのだろう。

 だからこそ、その危うさが悲しいのである。人はなんと脆弱なものを当てに生きているのか。人は、「自分の信じたいもの」を目の前に出されたら、いとも簡単に信じてしまう。逆に言うと、ある人物の「信じたいもの」を餌にして、「実際は信じたくないもの」へと誘導するのが、詐欺である。だから詐欺映画では、それぞれの登場人物にとって「信じたいもの」が剥き出しで開陳され、それが他者の操作の対象となる様子が描かれる。

 詐欺の映画で、ややこしい愛の話がよく出てくるのは、きっと愛も詐欺みたいなものだからだろう。相手の生存に必要な「信じたいもの」を提供して相手を誘導しようとするのは、詐欺とまったく同じである。違うのは、それがお互いの利益になるかもしれないことだけだろう。同じく詐欺をテーマとした『夢売るふたり』(阿部サダヲ松たか子主演)という映画があったが、この映画においては、詐欺と愛がほとんどイコールになっている。

 本作も同様で、もう少し間接的ではあるが、詐欺師とその愛人は他の人を騙しきることで、最終的に愛を回復するのである。その辺りは単純なメロドラマよりの愛よりもなんだか愛らしくて、互いに必要なものを提供し合い、その戦略的互酬関係が「滅多に成立しないもの」だとふたりが自覚することが愛なんじゃないか、という無機質だが明確な愛の定義が得られるのである(正しいかどうかは知らないけれど)。

(監督:デヴィッド・O・ラッセル 2013年 アメリカ)

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