僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー】クラシックなヒーローは安心で新鮮だった【感想】

  超人揃いのアベンジャーズの中にあって、「ちょっと強い普通のお兄さん」でしかないキャプテンアメリカは、しかし、圧倒的に人望がある。アベンジャーズの他のメンバーに人望がなさすぎるのかもしれない。その理由は、もちろんキャプテンアメリカの行動原理が正義だから。己の欲望でもなく、闘争心でもなく、正義に拠って闘うスタイルはもはやクラシックだが、クラシックにはクラシックだけの安心感がある。盾を振り回すアクションシーンはスタイリッシュ。

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◆クラシックで新鮮、クラシックで安心

 こういう奴いるよね。非の打ちどころのない、いい奴。爽やかで、思いやりがあって、正義漢で、自己犠牲的で、ジョークも言えて、スポーツ万能で、でもそれを鼻にかけることもなく、少し照れ屋で、恋愛には腰が引けている、可愛い奴。そういう奴が映画の世界に行くとキャプテンアメリカになるわけで、「ああ、あいつ、今はこんなことやってるんやなー」と感慨にふけりながら観た。ずいぶん活躍していましたね。とっても面白かったです。

 最近のヒーローは、ヒーローのくせに、業が深かったり、欲に塗れていたり、あるいは悪の一部を自らに取り込んで葛藤したりする。一言で言うと、ややこしいタイプが多い。そこに、キャプテンアメリカのようなクラシックな美徳に溢れているヒーローが登場してくると、混沌のなかに美しい幾何学模様を発見したときのように、一周回って逆に新鮮である。

 安心感もある。キャプテンアメリカを観て気づいたことだけれど、最近のヒーローはどうやら人望がない。アイアンマンは自分勝手のアカンタレで、基本的に技術力で何とか闘っているタイプだし、この前のアントマンにしても人望を回復する話だった。他に目を向けても、イーサン・ハントは組織のバックアップを得られたことがないばかりか、裏切り者扱いされて味方からも命を狙われたりするし、バットマンも一般大衆からすると街を大混乱に陥れた元凶だったりする。

 それに対して、キャプテンアメリカの人望はどうだろう。組織内では、大した根拠なく(つまりキャプテンアメリカへの信頼だけで)命令に背いてキャプテンアメリカを助けようとする人物がいるし、ランニングでキャプテンアメリカとすれ違うだけだった一般男性が、キャプテンアメリカからの要請だからという理由で、自分の命を賭ける。博物館にはキャプテンアメリカを称えるコーナーがあり、彼は子ども達の憧れの的である。

 信頼こそがヒーローの根本ですよ、とこの映画は言っている。恫喝と脅迫で人間を動かそうとする敵方とは対照的に、キャプテンアメリカのチームは信頼と正義感で動いている。クライマックスにおける、ある人物の転向も信頼が全てに勝った結果なのだ。信頼が大切、嗚呼、なんだか安心してしまうな。林立するビル群と、心をかき乱すネオンの光に浸されたあとに、故郷の田園風景にかえってきた感じ・・・。故郷っていいよね、とこういうときは思うのである。

 スカーレット・ヨハンソン好きとしては、彼女が演じるロマノフとキャプテンアメリカの恋とも呼べないような恋が、微笑ましくもあり、もどかしくもあった。追っ手から逃れるために、「私にキスして、視線がそらされるわ」と言って、強引にキャプテンにキスさせるシーンは、踊る大捜査線の青島刑事とすみれさんの関係を思い出して、ひとりもだえ苦しんだ。すみれさんも捜査のために「私の髪をなでて」と言うのである。違いは、青島刑事はそういうすみれさんの言動にいちいちかき乱されるのだが、キャプテンのほうは至って平常心であること。ロマノフのほうも別にそれに頓着する様子もないのだけれど、観ているこちらは勝手にいろいろ想像してしまう。こういうのを、思春期の妄想と言う。まあ、かなり前に思春期は終っているけれど…。ロマノフは極秘資料と引き換えに、キャプテンにあることを頼むのだけれど、そういう言動もツンデレみたいに見えて、さらに僕はスカーレット・ヨハンソンが好きになるのである。