僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【アノマリサ】愛が失われる瞬間を描いたストップモーション・アニメ【感想】

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 奇妙なストップモーション・アニメ。すべて人形を動かして1コマ1コマが撮影されている。そんな膨大な労力(撮影には2年間かかったらしい)を、くたびれた傲慢な中年の日常を描くのに使っている。ここですでに疑問ははじまっている。どうして彼らは人形でなくてはならなかったのか。

 開始5分以内で何かがおかしいことに気付く。故障かと思って僕はイヤホンを一度ぬいた。主人公以外の声が全員いっしょなのである。そしてよく見てみると、主人公以外の顔も全員一緒である。この一点にこそ、製作者が膨大な労力をかける道を選んだ理由がある。

 ストップモーションの出来の良さに対する感動が、途中から気持ち悪さに変わっていく。全員がおなじ顔の世界をはじめて観ることになる。何だろうかこれは。この気持ち悪さは。世界が狭まっていくような感覚、どこにも出口がないような息苦しさ、閉所恐怖あるいは「できない」という不可能性だけが身体に迫って来る世界。

 主人公の中年男性が気の毒といえるのかどうか、よくわからない。「昔と何かが違っている」と彼はつぶやく。鈍感な男である。彼に起こっているのは、机の小物の配置が朝と違っている、なんて可愛らしいことではない、全員の顔が同じに見える、ってそりゃあ世界破滅級の出来事ですよ。でも主人公は「何かが違う」といらだっている。

 愛が不可能になっている点がおそらく重要だろう。愛が不可能になった故に全員が同じ顔に見えているのか、あるいは全員が同じ顔だから愛が不可能になっているのか、順番はどうでもいい。

 愛とは排他的な選択である。彼にはその排他的な選択が不可能になっている。唯一、彼が愛する女性が登場する。彼女の顔はほかの人間と違い、彼女の声はほかの誰とも違う。「声が美しい」と彼は思う。何度も歌ってくれ、とせがむ。美男でも美女でもない二人が交流するこの場面は、しかし、息をのむほど美しい。のっぺりした世界から帰還し、彼は愛を発見するのである。

 しかしそれも長くは続かない。ひょんなことから彼は少しずつ彼女への愛を失っていく。愛が消滅する瞬間の描写として異様なリアリティがあるこのシーンは、本作のハイライトの一つだろう。悲しいというよりも、こわい。感覚のすべてを遮断されていく予感がしずかに観ている側を打ちのめす。愛がある世界から愛がない世界へ、つまり意味がある世界からどんな意味のない世界へ、彼は戻っていくのである。少しずつ彼女の顔が、ほかの者たちと同じ顔になっていく。いまや他のものと全く同じ顔になった彼女を、もう二度と彼は愛することはない。

 主人公が正気を失うのも当然の帰結だろう。講演会の途中で彼は錯乱して意味のわからないことを叫ぶ。別にこの展開に違和感はない。最後の締め方にも納得がいく。ラストシーンで彼が叫ぶセリフが印象的である。「君たちはいったい誰なんだ」。彼が識別できるのは、なぜかアダルト玩具屋に売っていた日本人形だけである。日本人形は「ももたろう」を歌う。彼は涙する、人形だけしかいなくなってしまった世界に。

 しかし、観ているこちらも「正気って何なのだろう」と考え込んでしまう映画である。登場する人形たちの動きは、ドアを開けるなどのちょっとした所作や、排尿、性交シーンまで巧緻を極める。人形たちは人間そのものである。しかし、人間そっくりにつくられた人形たちが動く日常は、落ち込んでしまうほど滑稽なのだ。人形たちは家族や仕事、愛とかに銘々が必死になっているけれど、距離をとった視点から見ると、そこには魂もロマンも何もない。物質の固まりがたんに右往左往しているだけの世界である。人形ではないはずの人間である僕たちの世界も、薄皮一枚はいだだけで、すぐさまのっぺりとした意味のない世界になるに違いない。今の世界は、非常にデリケートなバランスの上に辛うじて成立しているのである。 

アノマリサ (字幕版)

アノマリサ (字幕版)