僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

100記事目の前に

 次の記事で100記事目になるので、幾つか反省点を残しておきたい

 

①ブログを書くときの敵は、羞恥心、ただそれだけ。

 普段の文章を書くスピードなら、2015年中くらいには100記事に軽く到達すると思っていたけれど、結果的にはここまで引っ張った。敵は羞恥心、ただそれだけ。ブログを書くのは初めてではないけれど、日常生活を記すもの以外(つまり明確にある集団に向かって書く文章)ははじめてだった。日常生活なら「アホやと思われて何ぼ」という処世訓を適用できるのだが、テーマ別になるとどうしても「かしこぶりたい」癖が抜けない。アホか、僕。賢く見える文章に憧れている時間が長すぎたのかもしれない。

 

②意外に極論が難しい。

 これは自分の見込みの甘さ。ブログをはじめた当初は、映画に関して極論を展開することを予定していたのだけれど、知れば知るほど極論というのは難しい。ツイッターくらいの文字数なら極論も繰り返すことができるかもしれないけれど、ある程度まとまった分量を書くとなれば、どうしても中庸に落ち着くことが多い。その結果、他の映画ブログと同じようなことを書いていることが多かった。

 

③いくつかの実験

・1つの映画についてあれこれ書く。

 例えば「スターウォーズ」であれば、20記事くらい書いた(面倒なのでリンクは張らない)。このスタイルは自分に合っていると思う。

・「酷評なし」という制約

 何の問題にもならなかった。こういう制約がなくても、自分はほとんど酷評しないような気がする。しかし、これでは制約の意味がないような気もする。実際には、酷評に近い感想もあるけれど、悪口を言っている相手が必ずしも嫌いではないように、悪口を言える映画は必ずしも嫌いではない。そういうトーンで書ければ、と思う。

・世間を賑わせているニュースについて書く。

 ベッキーの不倫騒動について書いてみた。これは明確に失敗。「不倫くらいでガタガタ言うな、つまらない」と思ったのは事実だが、書いた快感もなければ、書いた内容も次の日には不満だった。政治的な内容は(日常では書くことも多いけれど)意図的に外していた。これは正解だったと思う。異論をぶつけ合うのなら、現実では重要ではないテーマの方がいい。例えば映画とか、例えば小説とか。

 

④100記事目以降

 タイトルを変えて、スタイルを(ある程度)統一しようと思う。