僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画ファンを代表する資格はないけれど、映画ファンについて。

  前の記事で「映画を観ていない間、映画ファンは何をしているのか」ということを書いたのだけれど、この問いに対して、実に明快な答えを持っている人もいる。その答えとは、「別の映画を観ている」だ。

 GOOGLE先生に聞いたところによると、中には1年で500本上の映画を観ている人もいるらしい。いったいどんな生活をしているのだろうか。映画業界の方でないとしたら、これこそ筋金入りの映画ファンである。

 500本というと1本2時間として1000時間。つまり40日程度。子どもの頃の夏休を、不眠不休で映画に捧げて、ちょうど賄えるような時間である。スイカを割っている暇もなければ、夏休みの宿題をやっている時間もない(これは、別にこの場合に限らないが)。

 そういう人が存在する傍らで、僕ごときが映画ファンを名乗るのは、おこがましいような気がする。こちとら、仕事が忙しくなれば真っ先に鑑賞時間を切り捨てる「ヘタレファン」である。年末年始の今なんかはまさにそうである。新しい映画を観るくらいなら、昔観た映画を想い出す。そしてそれについて書く。

 500作も観る人は映画への愛が強すぎて、おそらく振り返らない人なのだろう。「ヘタレファン」として発言すると、僕は年に観るのが50本だけでも(50でも500に比べたら「だけ」である)、おそらくそれに費やした100時間のことを必ずどこかで考えてしまうだろう。楽しかったけれど、本当にこんなものに100時間もかけて良いのか。生きるって、そんなにテキトーでいいのか。

 もう僕は映画を観なくてもいいのかもしれない。今まで観た映画の分だけで、たぶんこの先3年間くらいは書くことに困らないだろう。尽きたころには、またチョロっと新しい映画を観ればいい。そしてその分の浮いた時間を、別のことに投入する。そうすれば、全てが上手く回っていくではないか。

 しかし、そうはいかぬのである。この「そうはいかぬ」こそが、自分が映画ファンである、と確信する唯一の根拠である。いろいろなことを考えても、映画を観ていない時間が長いと、どうしても立ち行かぬ。それは、ずっと孤独に過ごしていたときに、無性に人恋しくなるのに似ている。誰でもいいから会ってくれ。何でもいいから映画を見せてくれ。そうでなければ気が済まないのである。

 「映画を観ていない間、映画ファンは何をしているのか」という問いに対しては、だから、次のように答えられるだろう。「何とか気を済まそうとしている」。映画ファンとは、映画を観ていない間は「気が済んでいない」人たちのことである。彼ら/僕らは映画を撮るわけにもいかないから、気が済まないなりに様々なことをしている人たちである。例えば映画ブログを書くとか、ダースベイダーのコスプレをしてみるとか。