僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

映画ファンは映画を観ていない間、何をしているのか。

 ブログを初めて以来、一端の映画ファンの顔をしているが、映画を観ないときに、どんな顔をして生きればいいのかわからない。他の映画ファンは映画を観ていない間、どんな顔をしているのか。

 僕の場合、書いている。それだけである。

 スタンダールの墓碑銘には「生きた、書いた、恋した」と記してある。僕はおそらく死ぬときに「生きた」なんて大胆不敵なことを残せないし、「恋した」に至ってはもう絶望的である。しかし、「書いた」だけは残せる自信がある。だから僕の墓碑銘は「書いた」だけにしてもらおう。「書いた、書いた、書いた」。分かりやすくていいだろう。

 今もブログ以外に映画のことをたくさん書いているし、それ以外のことも相当量の文章にして残している。いわば記録中毒である。映画ブログをはじめる前も、おそらく映画を観た時間以上の時間を、映画について書くことに費やしている。

 書くこと以外に、映画への情熱を表現する術を知らない。話によると、インドでは映画を観ている間も、歌ったり踊ったり、何かつまんだりするらしい(本当か?)。もし嘘だとしても、例えばそういう場があったら、映画への情熱をぶつける先ができるかもしれない。

 他の映画ファンは何をしているのだろう。サッカーファンだったら普段は自分でサッカーボールを蹴っているかもしれない。将棋ファンは、普段は詰将棋を解いたり、対局をしてみたり、あるいは王手の練習でもしているのだろう。自分がファンでありプレイヤーであれば、やることには困らない。しかし映画ファンは? やっぱり書くしかないのではないか。書かないのであれば、もはやダースベイダーのコスプレでもするしかない。

 人としゃべればいい、と言う人もいる。きっとそういう人は、自覚はないかもしれないが、かなり喋るのが上手な人だと思う。僕は書いていない映画を喋ることができない。劇場を出た瞬間には、喋ることができる情報はゼロである。何から喋っていいかわからないし、そもそも何を喋っていいのかもわからない。喋ることができるとしたら、「神経が興奮しています」とか、それに類することだけである。