僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

「スターウォーズ/フォースの覚醒」への批判を読む②【スターウォーズ祭り開催中】

  待っていてもなかなか出てきてくれない。僕が見つけられていないだけなのかもしれない。

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 ◆実は少ない「がっつり批評」

 スターウォーズの「がっつり批評」がネット上に増えるのを、ずっと楽しみに待っているのだけれど、それほど増える気配はない。爆発的に増えているのは、レビューサイトなどに投稿される「一言感想」の方である。

 確かにそういう「一言感想」を読むのも楽しいのだけれど、「一つの映画を総合的に語る」ためには、一定量以上の言葉が必要なのもおそらく事実で、そういう分量の感想は、日本語で書かれたものに限ると、100万人以上が観ている映画だと思えないほど少ない(そして当ブログも含めて、質的にある一定以上の水準に達しているものはもっと少ないと思われる)。大手メディアのネット記事もそれほど本気を出していないように見えるので、もしかすると紙媒体のほうに集中して展開されているのかもしれない。いよいよ雑誌に手を出すときが来たか。

 前置きは長くなったが、以下は、ネットで見つけた感想をまとめた【ネット感想見聞録】。映画の楽しみの一つは、他の人の感想を読むこと。今回でも改めて実感しました(引用に問題がある場合は、お手数ですが、コメント欄にてご連絡ください。削除等、迅速に対処します)。

  当ブログの感想はこちら(他にもたくさん書いています)。

uselesslessons.hatenablog.com

 

◆好意的な感想がほとんど

 好意的な感想で最も多いのは、以下の2点を指摘する感想である。

スターウォーズの遺伝子が引き継がれていた(特にエピソード4~6の遺伝子が)
②前世代のキャラを蔑にすることなく、新世代のキャラを魅力的に見せるのに成功している

 こうした好意的な感想は上述通り、そもそも「がっつり感想」の数は少ないながらも、それなりの数あり、「楽しかった」「最高!」という感想は読んでいてこちらも嬉しくなってくる。いやぁ本当に最高でしたね。

 この種の感想の中で、最も面白かった(というか共感した)のは、このブログの感想。エピソード7を観ると、ある種の「せつなさ」を感じる、とのこと。リアルタイムで観てきた世代の方ならではの感想だと思う。僕はこの域には達していない。

  僕はこの『エピソード7』、制約のなかで、よくここまでのクオリティのものをつくったな、と思いましたし、『エピソード4~6』のキャラクターたちが出てくるたびに、頬が緩みっぱなしだったのです。
 だからこそ……それがこの世の理だということはわかるし、映画的にも必要なのだとは思うけれど、「世代交代」というのは、つらい。
 そのために、「フィクションであるがゆえの永遠」が失われてしまうというのは、せつない。

d.hatena.ne.jp

 

◆批判記事

 批判記事は、本当に少ない。「がっつり批評」と言える分量に達しているのは、以前当ブログでも取り上げた前田有一さんの批判くらいしかない(下リンク)。なんせ、googleで「フォースの覚醒 批判」で調べたら、このブログの記事が2番目に来て、びっくりした。もちろん嬉しいけれど、少しさみしい事態である。罵倒するだけの批判はいらないが、理屈立てて行う批判は面白い。 そういう批判が読みたいのだが。

uselesslessons.hatenablog.com

  ところで「フォースの覚醒 批判」で調べて一番上に出るのはこちら。

スターウォーズ/フォースの覚醒は面白くない?ダメな5つの設定 - 映画の秘密ドットコム

 エピソード4~6とに過ぎている、とか、スノークが大きすぎる、とか「まあそれは確かにそうだね」と言いたくなるものばかり。

 ただ、僕も以前の記事で書いたけれど、スターウォーズと言うのは、そういうものなのだ。巨大な隙があって、それも含めて面白い、という映画だ。そういう意味で、下記のリンクが極めて的確な表現だと思う。

また、「最高」であっても、決して「完ぺき」ではなく、だからこそ、観客の想像力を刺激する風通しの良さがある点も大きな魅力。

  逆に言うと、「隙」があって「完ぺき」でないことが気になりだしたら、面白く見ることも確かに難しいかもしれない。

www.cinemacafe.net

◆「帝国軍アホすぎやろ」の批判が予言するエピソード8以降

 ちなみに、スターウォーズの「隙」が気になるのは、当然日本人ばかりではなく、以下のサイトでも、同じようなことが指摘されている。このあきれ方が凄く面白かった。

Seriously? Three times now the bad guys build a big weapon and the good guys find one small flaw in it and send one party to creep around inside it and another desperate sortie of ships to attack it? At that point, I was outside the movie, thinking about it rather than absorbed in it.

 かなり端折って関西弁訳すると、
「マジなん? ゴンタ君たちがまた惑星級の巨大兵器を作ったのに、しょーもない弱点をつかれてすぐに大爆発! おんなじことがこれで3度目やで。ちょっとはまなびーな。テンション下がったわー」

 帝国軍がアホなことは、全面的に同意したい。どうしてあれほどの規模の兵器なのに、ほんの一点をつつかれただけで爆発するのか。軟弱すぎないか。設計者を問いただしたい。

www.vox.com

 

◆「まだ若く何者でもない」エピソード7は予告編?

 実は上記の英語感想を引用したのは、帝国軍のアホさに共感したからではなく、むしろ下の意見に賛成の意を表したいからだ。全体的に辛口の批評なのだけれど、言っていることは正鵠を射ていると思う。

If Star Wars VIII takes the franchise in a bold new direction, some of The Force Awakens' sins will be forgiven. It will look, in retrospect, like an extended trailer, meant to reintroduce us to the world and situate some new characters in it. If the second in the trilogy is just a retread of The Empire Strikes Back, The Force Awakens (and Disney) will look much worse.

 つまり、後から振り返って、エピソード7が成功であったという状況になるとすれば、それは「エピソード7はエピソード8~9の予告編だった」という状態でしかあり得ないだろう、ということを言っている。

 これはすこぶる正しいと思う。「フォースの覚醒」はリブートのようなものであり、スターウォーズシリーズが今まで置いてあった台座に、少し新しいスターウォーズを置いてみたに過ぎない。それがJ.J.エイブラムスにとって唯一の可能な仕事だったし、彼はその仕事を考え得る限りで最も素晴らしい水準で成し遂げた。

 かなり楽観的&好意的すぎるのかもしれないが、上の「予言」はかなりの確率で当たるのではないか。エピソード7は、のちに続く偉大なエピソード8~9の予告編であるようにそもそも作られているのではないか。

 その一つの傍証として、キャラクターの描き方を上げておきたい。レイ、フィン、カイロ・レンについて、以下のサイトはこのように書いている。

  このメインキャラクター3人は、若くまだ何者でもない自分に葛藤している姿がキャラクターの個性となり “スター・ウォーズDNA”を受け継ぎながらも、新しい世代にメッセージを送っている。

  キャラクター設定はもっと他の形にもできた。つまり、もっと成熟した大人たちの戦争を描くこともできたはずである。しかしJ.J.エイブラムスは、そうしなかった。なぜか。それは製作意図として、エピソード7の位置づけに拘ったからではないか。

 彼らがどういうキャラクターになるかは、今後の続編が決定する。彼らは「若くまだ何者でもない」キャラクターである。それと同様に、エピソード7自体も、今後の続編でその真価が決定する「若く何者でもない」映画なのではないか。現時点での賞賛も批判も、後から振り返ってみれば「早計だった」ということになるかもしれない。

www.cinematoday.jp