僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

「スターウォーズ/フォースの覚醒」への批判を読む。【スターウォーズ祭り開催中】

  「フォースの覚醒」は、レビューもさすがにお祭り騒ぎである。いやぁ面白かったもんなー。僕自身の感想は以下のエントリーに書いたのだけれど、一言でまとめると、「最高に楽しいが、革新的ではない」スターウォーズの続編にとって、これは仕方がないことだと思う。「ファンが最高に楽しめる」=「革新的ではない」という等号が成立するところに、エピソード7は建立されるしかなかった。そしてJ.J.エイブラムスはその地点に、興奮必死の巨塔を建ててくれたのだった。

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◆意外に少ないプロの批判

 「ファンが楽しめる」=「革新的ではない」が等号で結ばれているところからして、もっと賛否両論がはげしく分かれるような気がしていたのだが、意外にもそうではない。ネットで見つけられたものに限ると、同じスタンスで書いていたのは、批評家の前田有一さんの批評のみだった。

 つまり、旧シリーズとシームレスにつなげた一点でJ・J・エイブラムス監督の職人芸を味わうことはできる。しかし、過去作でルーカスが目指したであろう、映画史を塗り替えんという創作魂や革新性はまったく受け継いでいない。

  以上の部分については、全く同感である。ルーカスはだから「ファンは喜ぶだろう」と言ったのだ(と思う)。「フォースの覚醒」は「ファンの、ファンによる、ファンのための映画」であって、前田さんが指摘するように、「映画史を塗り替えんとする」映画は、はじめから目指されていないのだろう。革新性を強く求める観客は、前田さんと同じ以下のような感想を抱くことになるだろう。

 わざと既視感を感じさせてファンを盛り上げようとするサービス精神あふれるこれらの見せ場も、よく見ればどれもオリジナルより劣っていることに気づくだろう。これをオマージュとしてほめたたえる気には、私はなれなかった。

  この部分については、僕はものすごく楽しんだ身なので、理解はできるけれど共感はできない。

 

◆「星5vs星1」の戦い! 両軍が激しく戦うレビューサイト

 さて、プロの批評家以外に目を向けると、こちらは賛否両論が大きく分かれている。僕がたまたま見たYahooの映画レビューでは、賛否両論が分かれているどころか、一部では「星5vs星1」の激しい戦闘が繰り広げれていて、これもなかなか楽しい(当事者の方、無礼ですみません!)。賞賛するにせよ批判するにせよ、どちらもものすごい熱量である。

 「星5vs星1」両軍入り乱れる中で、最も有効な一撃だと思ったのは、「星5」側から書かれているこのレビューだった。スターウォーズを面白く見るための前提に触れているので、これから観る人にも役立つと思う。

 このご時世で、いろんな洗練された映画がある中で

スターウォーズをただ単に、構成や流れで見ると

『稚拙』『幼稚』『ご都合主義』

そんなキーワードが出てくる事でしょう。

だがしかし、じゃあジョージ・ルーカスの6部作観てくださいよ。

スターウォーズという作品は

遠い”昔”の銀河の彼方で行われている”お伽話”です。

  確かにこの前提がないと、「フォースの覚醒」はただの駄作にしか見えないだろう。スターウォーズに緻密さを求めるのは難しい。むしろスターウォーズでは、そういう「隙」を欠点ではなく長所と見做して自由に楽しむのが良いだろう。

 アナキンやヨーダといった登場人物たちは、一丁前に悩み、一丁前に戦い、そして一丁前に敗れていったわけだが、いつでも少し何か「最も大切なこと」を見逃していて、それが悲しくもあり可愛くもある。チャップリンが「人生はクローズショットで見れば悲劇、ロングショット見れば喜劇」と言ったように、スターウォーズは「クローズショット」と「ロングショット」が壮大なスケールを以て切り替えられる稀有な映画であり、だからこそ、その目も眩むような遠近感が生み出す大宇宙に魅入られていくのである。アナキンは嫉妬ゆえに人生を狂わした大馬鹿者であり、だからこそ滑稽で愛おしい一人の人間なのである。