僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

イノベーションとしてのスターウォーズ~「神話構造=ちゃんこ鍋」仮説~【スターウォーズ祭り開催中】

  スターウォーズ関係で一番重い本。

スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか

スター・ウォーズはいかにして宇宙を征服したのか

 

  全部で968ページもある本書は、時間とお金と、そしてこのズシリとした重さを支える腕力がなければ、読破することはできないだろう。僕はこの3つのうちの2つを決定的に欠いており、未だに読破することができずにいる。

 ただし、読破できない理由はそれ以外にもある。この本、ちょっと面白すぎなのだ。僕がそれ程詳しいファンではないからか、知らないことが多すぎて、そして知らないからこその驚きがてんこ盛りである。いちいち驚いて、いちいち考えてしまうから、全く進まない。列挙することはしないが、帯に記載されている文章だけでも、雰囲気は伝わるだろうと思う。

ルーカスのアイデアを伝説に変えた友人や脚本家、コンセプト・アーティスト、プロデューサー、マーケティング担当者など、舞台裏で活躍した多士済々のメンバーの肖像画を描きつつ、なぜスター・ウォーズが多くのファンを惹きつけ、触発してきたかを探るため、テイラージェダイの騎士を自称するファンとライトセーバーで闘い、ドロイドの自作を楽しむ愛好家たちと交わり、ボバ・フェットの衣装を着てファンイベントを歩き回る。

 これぞ、「バカか(尊敬)」である(最近僕はよく「バカか(尊敬)」を使うのだけれど、この根拠なき時代に、この「バカか(尊敬)」こそが新たな根拠を創る唯一の材料ではないかと思っている)。

 さて、本書のうちで、当ブログが求めている問い「スターウォーズはなぜ面白いか」について、関連する情報をあげていきたい。その第一弾。ルーカスの発言。

  スター・ウォーズは、寄せ集めなんだ」ルーカスは、のちにインタビューにこう答えている。「それまでに一度も一つにまとめられたことも、一つの映画に置かれたこともない、西部劇や神話、サムライ映画などの様々なジャンルの要素が取りいれられているんだ。これらを一つに寄せ集めることで、素晴らしい何かが生み出される。スター・ウォーズは何か一種類のアイスクリームではなく、いろんな材料を合わせてつくる、アイスクリーム・サンデーなんだ」

  このご機嫌な「アイスリーム・サンデー発言」はしかし、スターウォーズ・シリーズのある特徴を上手く説明していると思う。つまり、スターウォーズは、「できのいいSF」として登場したわけではなかった。「前よりももう少しお金のかかったSF」とか「もう少し演出が上手なSF」とか、そういう改善によってたどり着ける地点にスターウォーズが生まれたのではなく、過去の作品とは比較不可能な「全く新しいもの」を内に含みつつ、スターウォーズは映画史に現れたのである。

 経済学者シュンペーターは「イノベーション」の説明に次のような比喩を使う。引用はこの記事から。

郵便馬車をいくら連続的に加えても、それによって決して鉄道を得ることはできない

 イノベーションとは、このように非連続なものである。これに倣っていうなら、「従来のSF(サイエンス・フィクション)をいくら連続的に加えても、それによってスターウォーズを得ることはできない」。本書の冒頭で、筆者はスターウォーズが作り出した新しいジャンルに言及している。スターウォーズは「SF(サイエンス・フィクション)」という従来のジャンルに収まりきらず、「SF(サイエンス・ファンタジー)」というジャンルを自ら作り出した。それがルーカスの言う「一つに寄せ集めることで」生まれた「素晴らしい何か」だったのである。

 「寄せ集め」からどうして「素晴らしい何か」が生まれたのだろう? さまざまな要素を、一か所に固め、その間に有機的な反応を起こす必要があった。そのためには、どんなものでも受け入れる「骨太で、大らかな構造」が必要だった。そしてそれこそが、ジョセフ・キャンベルの神話的構造だったのではないか。これを「神話構造=ちゃんこ鍋」仮説とでも呼んでみようか。数多くの映画が、スターウォーズと同型の神話構造を有しているのにも関わらず、スターウォーズと同じところにたどり着けないのは、神話的構造の使い方を徹底していないからではないか。神話構造は、単なるちゃんこ鍋に過ぎない。それはほとんどの具を可食化するが、しかし、美味しく料理するためには、やはり魅力的な具の組み合わせが必要不可欠なのである。