僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【スターウォーズ祭り開催中】どっちのスター・ウォーズ【本の感想】

 本屋もスターウォーズ祭りである。関連本がずらりと並んでいる。 今回は全く感想にはなっていないけれど、とりあえず雑感を。

どっちのスター・ウォーズ

どっちのスター・ウォーズ

 

  内容はかなり軽め。「主人公はアナキン、ルーク、どっち?」というような二択形式で項が進んでいく。すいすいとクイズ感覚に読み込んでいけて、スターウォーズ祭りの気分に浸るのにはぴったりの本だと思う。

 全く知らなかったのが、スターウォーズにアルファベットが存在しない、という話。書き言葉は、「オーラベッシュ」という言語がつかわれているらしい。もちろん、「オーラベッシュ」はスターウォーズによって生み出されたオリジナル文字である。以下のような表もあった。あの世界では、小学校の壁かなんかに貼ってあるのだろう。

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 文字まで作り出してしまう意味不明な情熱には、「バカか(尊敬)」という反応をするしかない。なんなんだろう、この意味不明さは。だが、さすがハリウッド、というわけでもないのだ。日本にも、マンガ『ハンターハンター』にて、「ハンター文字」をつくってしまった冨樫義博がいるではないか。

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 幼いころに作っていた物語ではこのような「サブ設定」をたくさん作っていた覚えがある。楽しんだよねー。今となってはもう緻密さには全く情熱を持てないが、この文字を作った人たちが、きっと楽しんでいたのだろうということは分かる。ただ、一部の社会学的分析のように、スターウォーズの面白さをこのような「サブ設定」の豊饒さに代表させようとは思わない。詳細は以下。

社会学的分析と距離を取る

 大塚英志が、スターウォーズには年代史を稠密に設定していこうとするモチベーションがある、というようなことを指摘していた。このようなモチベーションは、以上のような架空の文字を設定するに至るまで強力である。

 このようなモチベーションに対しては、様々な解釈がなされている。自分が一時期信じ込んでいたものとして大澤真幸を例に挙げると、大澤は、このようなモチベーションが彼の定義する「虚構の時代」の産物だと評した。「虚構の時代」とは、「情報化され記号化された擬似現実を構成し、差異化し、豊穣化し、さらに維持することへと、人々の行為が方向付けられているような段階」である。

 自分はそういった議論に耽溺していた側の人間だったから、あまり偉そうなことは言えないのだけれど、「~という時代」という議論に魅力があった時期は、もしかすると少しずつ過ぎてきているのかもしれない、と思う。政治についてはまだしも有効だろうが、特に文化についてはある程度役割を終えたのではないか。もっとワクワクするような、面白い分析が可能ではないか。僕は依然として大澤真幸の本がものすごく好きだが、しかし、それは彼の独特の文体(アクロバティックな逆説)が好きだからであって、彼の時代分析に共感するからではない。

 本題よりも長くなってしまったが、スターウォーズの面白さを考えるにあたっては、大澤真幸宮台真司東浩紀あたりの時代診断はあまり採用しないことにする。

虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争 (ちくま新書)

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