僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【アベンジャーズ/エイジオブウルトロン】他blog記事をちょっと遠回りに紹介 【ネット感想見聞録】

 映画ブログを書くようになって、他の人の映画ブログにも興味が出てきた。実際に書いて分かったことだが、映画の批判を書くのはけっこう簡単である。ある基準を提示し、それに適合していないことを示すだけでいい。あるいは、一言「面白くなかった」、これだけでも映画にとってはある種の批判になる。

 しかし、この種の批判は読んでいてあまり面白くない。「だからこの監督はダメなんだよ」という気分を共有して、ある種の優越感に浸ることができるかもしれないが、本気の映画好きは、それを望んでいないはずだ。プロ/アマチュアの線引きを是とするなら、批判はプロに任せればいいと思う。批判システムがない業界は弛緩して、いずれ滅びる。プロ批評家は、映画業界が弛緩しないように、どんどん批判すればいい。

 素人はどうか。他の人に同じやり方を押し付けるつもりはないが、僕はこのようなやり方を取りたいと思うようになった。搾り取れるだけの面白さを搾り取る。ある基準をもって映画を裁断するのでなく、映画によって基準が変わるのを楽しむ。もっと言えば、恥ずかしげもなく深読みし、場合によっては恥ずかしげもなく勘違いをし、恥ずかしげもなくその感動を示す。

 「恥ずかしげもなく」というのは、意外にけっこう難しい。高いワインを語るのはかっこいいから誰でも抵抗なくできるが、コカ・コーラの思想性を語るのはどこか恥ずかしい(村上龍はいくつかの小説やエッセイでコカ・コーラを語っていた)。同じように、映画でもゴダールの深淵を語るのは簡単だが、アベンジャーズを深読みするのはどこか恥ずかしい(つまりこれは「僕がそういう偏見を持っている」ということの告白でもある)。

 ・・・と長々と書いてきたのは、僕は以下の記事が面白かった、ということを言いたいがためである。

つまり「アベンジャーズ」とは、「アイアンマンとキャプテン・アメリカとソーを中心としたヒーローチーム」という意味を超えた、何かなのだ。それは一種の象徴であり、存在であり、脅威であり、憧れであり、希望。「アベンジャーズがアベンジャーズでなくなる」ことが、このAOUが踏み出した一歩であり、今後のMCUを別次元に押し上げていくのだ。

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 ネットで探すと、この記事に対する批判もすぐに見つけられるが、その批判よりもこの深読み記事の方がずっと面白いし、ずっと清々しい。内容に全面的に賛成するわけではないが、こういう記事が読みたいし、こういう清々しいトーンで僕も語りたいと思う。