僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【ヒアアフター】「死後の世界」を媒介にして、回復する生たち【感想】

【一言まとめ】人生ってどうしようもないこともあるよね、でもそれでもいいことあるよ、と言ってくれる優しい映画です。

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 クリント・イーストウッド監督らしい、いぶし銀のような映画。「死後の世界」(=ヒアアフター)を巡って交錯する3人の物語。前半は、3人がそれぞれの人生において焦点となっていたもの(仕事、恋人、双子の兄弟)を喪失する描写から始まる。彼らは傷つき、孤独へと追い込まれる。「死後の世界」が彼らにとって直接的な希望となることはない。3人は「死後の世界」を巡って出会い、彼ら自身の努力によってというよりは、偶然に互いが出会ったという僥倖によって、喪失から次第に回復し、またそれぞれの人生へと向き合っていく。

 冒頭の巨大津波のシーンは映像的にもすごい迫力なのだが、迫力に感心している余裕がないほど恐怖そのもので、この映画の基調となっている認識を具現化しているように感じた。ちょうど震災のデリケートな時期と重なって、上映が延期されたらしいが、それも納得できる。あの恐怖はリアルすぎる。基調となっている認識とは、つまり、生きているとどうしようもないことってあるよね…、というあの諦めきれない諦めである。ある人が津波に巻き込まれることに、明確な理由などあるはずがない。それは不条理にやって来て、有無を言わさずその人の人生に刻印される。主人公のマッド・デイモンも自分の能力について、繰り返し「これは呪いなんだ」と言う。彼は霊能力を持っており、相手の手に触れることで死後の世界へと去った人物と交信することができる。彼はその能力から、つまり霊能力者としての自分から逃避しようとするが、周りがそうはさせない。彼はそれによって、また一つ、人間関係を失った。

 どうしようもない運命に対して、安易に「意志の強さ」とか「努力の素晴らしさ」を対置させないのがいい。この映画は、「運命に打ち勝て」とか「努力すれば何とかなる」とは言わない。運命に対して、もうひとつの運命を対置するだけだ。津波に巻き込まれた運命、呪われた能力を持ってしまった運命、理不尽でしかない死により兄弟を失った運命、それらの運命に対して、運命の別の側面が対置される。3人が偶然にも出会い、そしてそれとは意識しない形で互いに助け合う(マッド・デイモンが「こんなの狂ってる」と自分で言いながら、ホテルに向かったシーンを想起せよ)。どうしようもない人生だが、その「どうしょうもなさ」ゆえの良さもあるのだ、ということを示してくれる。

 ラストは、希望がほのかに提示されるに留まる。もっと確実に幸せになっているシーンを観たい、という観客の願望を見越して、パシッとそこで切っているような気がした。3人を翻弄している運命の強大さに比べて、今彼らが手にしつつある希望の頼りなさはどうだろう。少しだけ柔らかい芽が出ただけ。すぐに踏みつぶされる。ちょっとしたことで、彼らはまたすぐに希望を失ってしまうだろう。しかし、おそらく一人の人間が抱く希望とは、そのように切なく、そのように危ういものなのではないだろうか。そんな危うさを肯定的に描いている本作は、とても優しい映画だ、と思う。

クリント・イーストウッド 2010年 アメリカ)

ヒア アフター [DVD]

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