僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【RED】おじいちゃんも闘う時代【感想】

 【KeyWord】闘うおじいちゃん、おじいちゃんのキャラ設定、爽やかな老年、波平への苦言

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 ついに、おじいちゃんも闘う時代がやって来た。といっても、今やってきたわけではなく、振り返ると、結構前から、おじいちゃんは闘っていたのだった。例えば、「大脱出」もスタローンとシュワちゃんという“ムキムキおじいちゃん”コンビだし、彼ら二人が含まれる「エクスペンタブルズ」シリーズも、平均年齢の高さ(確か60才以上?)を売りにしていた。ハリソン・フォードが『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』で天井からジープに飛び乗ったのは彼が60歳をとうに超えてからだった。そして、本作「RED」も、CIA出身のおじいちゃん達が大活躍する映画である。

 おじいちゃんのキャラ設定にも、幾つか種類がある。上記の例でいうと、「エクスペンタブルズ」シリーズは、題名通り、「消耗品としてのおじいちゃん」つまり「社会や組織にいい様に使われ、捨てられたおじいちゃん」という位置づけで、そうした仕打ちに対する反逆として、おじいちゃんのパワフルさと意地を見せる、というのが大まかな流れになっている。

 では「RED」はというと、老練で人望のあるブルース・ウィリスに、偏屈なジョン・マルコヴィッチ、余生少なく捨て身になることのできるモーガン・フリーマンに、ある種の快楽主義者であるヘレン・ミレンと、わりにバリエーションに富んだ老年ぶりを披露してくれる。その犠牲とも言うべきか、敵方の若者側(あくまでも相対的に、若者)はそれほどバリエーションに富んでいない。命令への従順な態度や、パワーと人数で押してくる作戦などキャラ設定は一面的で、映画に登場する敵役としても極めて平凡な部類に入る。ストーリー的にもほとんど印象に残らないので、この映画の正しい見方は、味方側のキャラクターを好きになって、彼らを無条件に応援し、爽快に敵を打倒していくのをワクワクしながら観る、これでいいのである。

 おじいちゃんたちの関係は、意外なことに爽やかだ。ガンで自身の余生が短いことを知っているモーガン・フリーマンは、チームを救うために自分が犠牲になることもいとわず、それを他のメンバーも了承する。文脈が違えば愁嘆場にもなりそうなものだが、老人という重しが、自分のことに拘らない軽さにもなって、実感として理解はしにくいが、まあそういうこともあるのかもしれない、と思う。CIAのスパイであるブルース・ウィルスが、かつて激しく戦ったロシアの老練なスパイに助けを求めるシーンも、「恩讐の彼方で見つけた友情」という感じがして、実際にあるのかわからないが、こういう関係もいいものである。ブルース・ウィリス率いるRED軍団も極めて仲がいい。僕は戦友というものに、ある種の憧れがあるのかもしれない。戦友というのは人間関係の中でも特殊な形態だけれど、生死をともにした経験は、きっと細かい差異にはあまりこだわらない連帯の意識みたいなものにつながるのだろう、となぜか勝手に思っていて、その憧れが投影されているから、RED軍団が好ましく見えるのだろう。『特攻野郎Aチーム』も同じ理由で爽快だった。

 今後おじいちゃんが闘う映画が数多く撮られるのだろうけれど、おじいちゃんが闘うことが、映画の売りになる時代は、実はそう長くないのかもしれない。「そりゃあ、おじいちゃんでも闘うでしょ」「いや、おじいちゃんだからこそ、闘うんじゃない」。もうすぐしたらそうなるのではないか。なんだか壊れていくおじいちゃん像…。しかし、まあ粗茶をすすっているだけがおじいちゃんじゃないよね。映画の中で機関銃をぶっ放すのは若者の特権ではない。おじいちゃんもキャノン砲を撃つ権利がある。国民的アニメとされるサザエさん」の波平さんが、54歳にしてあのおじいちゃんぶりであることを考えると、おじいちゃんも一発や二発はキャノン砲でもぶっ放しておいた方がいいような気もする。