僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【ダイナソー・プロジェクト】 POVよ、恐竜ワールドで羽ばたけ!

 この映画は、劣化版ジュラシック・パークである。ほとんど全ての点で、ジュラシック・パークに劣る。しかし、だからどうしたというのだ。恐竜ファンが、恐竜が大地を闊歩する絵を見て興奮しなければ、いったい誰が興奮するというのだろうか。それに、本作はPOV形式であり、ジュラシック・パークとはまた違った緊張感を味わうことができる。現代に生き残った恐竜は、CGに当てられた予算の不足にも関わらず、精一杯動いてくれていたと思う。ありがとう、恐竜。予算不足に負けるな!

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◆POV形式でジュラシック・パーク探検

 ジュラシック・パークでも、新シリーズのジュラシック・ワールドでもいいが、ああいう大作には、途方もないお金がかかっているだろうことが、この映画を見ると分かる。CGは少なく、出てくる恐竜の数も少ない。唯一、たくさんの恐竜が出てくるラストに近いシーンでは、カメラを広角に構えて細部を見えなくしている。これが限界なのだろう。恐竜のような生物の目撃談が相次いだジャングルへと向かう探検隊の話。親子の絆もおまけで描かれる。

 『クロニクル』(リンク下記)もそうだったが、POV形式の映画というのは、個人の自己顕示欲を表現するのに非常に適している。本作の登場人物もご多分に漏れず、非常に演技的な人間が多く、中でもチャーリーという名の冒険家は、人がバタバタ死んでいる中で(彼自身が手にかけた者も含む)、「俺は世界一の冒険家だぜ!」と大はしゃぎである。そう思っているのはわかるが、別にカメラに向かって言う必要は全くない。自分が凶悪であることを隠そうとはしない、親切な悪役なのだ。

 そして、恐竜映画になぜか常に登場する、“空気の読めないめちゃくちゃ迷惑なやつ”もやはり登場する。こうした人物は、非常に感情的なのと、安全よりも自分の気持ちが満たされることを優先するのが特徴で、例えばジュラシック・ワールドなら、クレアという、主人公の子ども2人にとっておばさんにあたる人物がそうだった。彼女は、恐竜が潜んでいるかもしれない森の中で、平気で子どもの2人の名を叫び、恐竜に見つかるぞと咎められると、じゃあどうすればいいのよ、とまた叫ぶ。鬱陶しいことこの上のない人物である。

 本作では、なんと主人公がそうである。危険なジャングルへの旅へと出発する父に引っ付いて、ヘリコプターの倉庫に忍び込む。冒険でほとんど家にいない父に対して反抗的であるが、実は父に認められたくてたまらない“アマちゃん少年”でもある。探検家としてプロであるはずの父の助言を全く聞き入れず、爆発しかけのヘリコプターにカメラを取りに戻ったり、「僕を認めてよ」と必死になって口論したりする。しかも部分的にそうした反抗的な行動が功を奏してしまうから、なお一層タチが悪い。

 しかし、そうした性格もPOV形式にはやはり合っていると思う。父に対する屈折した思いも、それでも父を尊敬しており、父に一目置かれたいという思いも、基本的に主人公目線で観てしまう映画だからこそ、主人公を動かす強力な動機として受け止められる。恐竜にカメラを取り付けて、その映像でキャッキャと喜ぶ恐竜ファン視点も、主人公視点で見せてくれたからこそ、共感できる。本作はきっと、POV形式による恐竜映画の新境地を開くための橋頭保になってくれるだろう。

(シド・ベネット監督 2012年 アメリカ)

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