僕は映画狂、というより、映画を語りたい今日

もしかすると、映画そのものよりも映画館の暗闇のほうが好きかもしれない。

【ネット感想見聞録】映画『鑑定士と顔のない依頼人』 感想の幅が広すぎるよ。

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 映画『鑑定士と顔のない依頼人』は、他の人がどう感じたのかが、すこぶる気になる映画だった。ネット上の感想を見ていると、評価どころか、起こった出来事の認識にも相当な幅があり、そのこと自体がこの映画の価値を物語っているのかもしれない。

 

本ブログの感想はこちら。

 uselesslessons.hatenablog.com

 

 以下はネット感想見聞録。

 

◆ハッピーエンドなのか。

  ラストシーンをどう観るかが、この映画を観賞する際の肝であり、さすがにこれに言及している記事は多かった。

 面白かったのは、全てを奪われた後の時系列についてさえも、大きく分けて二つの見方に分かれていることだ。

 1.喫茶店で待つシーンがラスト

 2.病院で茫然自失となっているシーンがラスト

 僕自身は2の可能性を全然考えていなかったが、確かにそういう解釈もあり得る。そして、②の見方で観た人にとっては、全く救いのないラストに見えただろう。鑑定士に同情する人が多いのも理解できる。クレアと再会できる希望さえも奪われたヴァーゼルには、もう何も残っていない。これほどまでにコテンパンにやつけられるほど、彼は悪い人間だったのか、とついつい因果を考えてしまう。

 面白かったのが1のほうで、「喫茶店で待つシーンがラスト」だということでは一致していても、その評価が一致しているとは限らなかった。

 一方の極には、ある種のハッピーエンドだと見る向きがある(当ブログの感想もここに入る)。絵も恋も失ったヴァーゼルだが、愛を信じることは学んだ。それは一つの救いだったろうし、愛を信じられなかった昔に比べると、ひとつの幸せを手にしたと言えるのかもしれない。

 もう一方の極には、バッドエンド派がある。これにはかなりのヴァリエーションがあって、例えば、絶対クレアにはもう会えないから、という感想もあったし、あるいは、ヴァーゼルが喫茶店で待つことまでもが、ビリーの術中である、という意見もあった。

 また変わり種としては、プラハに引っ越したのも、喫茶店で待っているのもヴァーゼルの妄想である、という見方もあった。これはこれで面白い。

 結局ハッピーエンド/バッドエンドの判断は

1.実際にクレアに再会できる可能性があるかどうか。

2.ヴァーゼルに何かしらの希望があるかどうか

という2つの水準の基準に委ねられているように思えた。僕は、1については「可能性全くなし」、2は「希望あり」の立場なのだけれど、1を重視する人が多くて驚いた。確かに、会えることって大切ですよね。

 ちなみにトルナトーレ監督は、ハッピーエンドである、と言っている。こう言われると、暗いエンディングだとは言いにくいような気がする。

また、大きな謎が仕掛けられた本作について監督は、「わたし自身はポジティブな終わり方だと思って いる。愛を信じる人たちには勝利だし、愛を信じない人には暗いエンディングに思えるのでは」と語り、「偽りの中にも真実がある。愛は愛でもあって、偽りで もある」といった哲学的な物言いでコメント。

www.cinematoday.jp

 

◆クレアの立場

 自分にはなかった視点として面白かったのが、クレアの立場に関する考察。主犯格はビリーで確定だとして、クレアはどのような立場で犯行計画に参加していたのか。クレアは仕方がなく犯行に参加していたのではないかという感想がいくつかあった。例えば、弱みを握られていて仕方がなく参加していた、とか、最初は主犯格の一人だったが、ヴァーゼルを本気で愛してしまい、少しずつ離反していった、とか。

 感想を読んでから思ったことだが、クレアが意志に反して犯行に参加していた、と見たい気持ちは自分にもあるような気がする。少なくとも、理解はできる。前半で描かれたヴァーゼルとクレアの恋愛がおとぎ話のように素敵だったために、その愛の真実性を信じたいのだ。しかし、それでは面白くないような気もする。トルナトーレ監督が言っているように、「愛は愛でもあって、偽りでもある」。犯行への参加が積極的だろうが消極的だろうが、愛とは本物でもあり偽りでもある」というのが、この映画の基調であって、豊かなところなのだ。ヴァーゼルのコレクションを売り払ってお金を獲得したいという欲望と、ヴァーゼルへの愛は、完全には矛盾しない。

 

◆結論、いい映画です。

 本作は物語の認識のレベルでさえ感想が一致しない作りになっていて、それによって観客は認識の宙づり状態でいることを余儀なくされるため、結果的には観客それぞれが、自分の信じたいように物語を自ら構築する。もちろん自分も例外ではなく、改めて考えると、ロールシャッハ・テストを受けているような居心地の悪さも感じるが、映画としては最高の美点の一つだろう。いい映画です。

 

◆その他

・ネット上で一番ポジティブな解釈

「鑑定士と顔のない依頼人」を都合よく深読みする (ネタバレあり)
 「Q1. 暴行を受けたヴァージルをクレアが助けに出た時、彼女は何故、外に出るのを一瞬ためらったのか?」という疑問は、なるほど確かにそうで、クレアも暴行の計画も知らなかったのも。

全ては妄想だった、というラスト

 これはこれで面白いと思った。

 

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